暗い闇の底 7
背をドアに預け、その場に座り込む。
他者との接触をいち早く絶たなければと意気込んだのが間違いだったらしく、走った身体は
余計に熱を持ち、息を切らす呼吸にさえ俺の頭と身体は反応を示し始めた。
触れたい。
早く触れて、楽になってしまいたい。
「ああもう、拷問だなこれ」
今頃ロシウは俺の状態を笑っているだろう。負けてなるものか、思惑通りになって堪るか。必死に両手を絡めさせ
動きを封じようとするが、今にもその手を解いてしまいたい衝動に駆られる。手を解いた瞬間、俺はロシウに負ける
だろう。だから小刻みに振るえる両手を、今にも崩れそうな理性と意地で固く閉ざそうとする。
「……おいシモン、大丈夫か?」
鋼の決意が、またもや俺を襲う誘惑により揺らいでしまう。キタンがドア越しに掛けてくれる声は、
涙が出そうになる程……辛い。
「残酷だなあ、キタンは」
「な、何だ?何て言った?」
「……今は一人にしてくれって言ったんだ」
挨拶もそこそこに、逃げるように食堂を出てきてしまったんだ。事情を知っているとはいえ、面倒見の良いキタンは
俺を放っておく事なんて出来なかったんだろう。優しさを向けてくれる事は嬉しい。
だが今は、その優しさが残酷だった。
「あのなシモン、こんな事を言うのも何だと思うんだが……我慢すれば良いってもんじゃないかもなーと」
「今まさに実感してるよ、身体にも精神的にも酷く負担が掛かる」
我慢したって、大人しく収まる問題じゃない。普通の生理現象としてなら、時間と意志を有すれば収まるだろう。
だがロシウの作った装置が原因なんだ、もしかしたら勝機のあり得ない戦いを強いられているのかもしれない。
考えれば考えるだけ、都合の良い解釈に意識が流れていく。
我慢したって収まらないのではないか。もしそうならば、いずれは手を出してしまう。そうなれば負ける。
負けの決まった戦い。いずれ負けるなら、耐える意味は無いのではないか。
「……シモン」
壁の向こうから、自分を呼ぶ声。
「ん……ぁ…っ…」
気が付いた時には、固く結んだ筈の俺の両手は下腹部へと伸び、表現し難い開放感からなる快感に声が漏れていた。
外に誰が居るかなんて関係なく、自分の痴態を晒してしまう羞恥心は掻き消えてしまった。
声の音を小さくしようと努力する理性が残っているだけ、まだマシと言えよう。
ただ自分が快楽を得る変わりに、外の人物には性欲に耐えてもらう事になったらしい。
「シ、シモン……こんなドア付近ですんなよ…っ!」
キタンの声には、明らかに動揺が含まれていた。
そんな言葉を投げ掛けるなら、俺の部屋から離れてしまえば良いのに。
「離…れて」
言葉が出ない。人に聴かせられない声なら簡単に音として出てくるのに、言葉にするのは難しくて堪らなかった。
「今のお前をそのままにしておけるか、馬鹿野郎!」
なあキタン。その言葉の他にも、俺の側を離れられない……離れたくない意図が有るんじゃないのか?
俺は思う。
キタンと一緒に、気持ち良くなれるんじゃないか。
こんな事を考えるだなんて、とうとう俺も狂ってきたらしい。でもキタンなら、俺と一緒に気持ちよくなれるん
じゃないだろうか。二人で同じ感情に至れるとしたら、それは素晴らしい事だ。
膝を突いた状態でドアと向き合い、手を伸ばして開閉ボタンを押した。
「……っ!!」
俺の姿を見たキタンの目が一瞬大きく広がり、顔を背けようとする。
だから俺は逃げるキタンの顔を両手で包み込んでやった。
「おおおおおお前っ!!」
「相手……して、よ…ね?」
全身が硬直するキタンが、何だか可愛らしく思えて笑ってしまった。キタンの頭を包んだ両手が暖かい。
俺とは違う意志で動いている体から、俺の全身へと振動が伝わって不思議な感覚に陥る。この振動に包まれたくて、
俺はキタンに抱き付いた。
「うぉあっ!」
俺よりも筋肉のついた厚い胸板は、居心地が悪いにも関わらず、どうにも離れられない。でも太い首筋は、
噛み心地が良さそうだ。
身体が暑い。
頭が働かない。
きっと俺は、本当に狂ったんだ。
「シモン頼む……抑えてくれ。じゃねえと、俺ぁ……!!」
何かを言われているが、どうにも理解が出来ない。割と人を翻弄する自信の有る俺が、俺自身に翻弄されている。
兎に角自分の欲を満たす為に、狼狽えているらしいキタンの首筋に歯を立てた。
でも力が入らず、首筋をゆっくりと舐める程度に終わってしまう。
「っ!!!」
すると突然視界が転回し、目の前には天上が広がった。ボタンを閉めた覚えが無いのにドアが閉まったのを感じ、
キタンに押し倒された事実を知って胸が高揚した。
「シモン……俺の事、恨んでくれ」
服のジッパーを一気に下ろされると、露出した肌に風が触れてくすぐったい。
「…キ、タン…」
熱い指が、俺の胸に降りる。
「俺……嬉しいよ?」
微笑んだ瞬間、口を塞がれた。相手の熱い舌が俺の中に雪崩れ込み、互いの舌が絡み合う。熱い。
息も舌も動きも何もかもが熱くて気持ちが良い。
微睡みの中に落ちそうになりながら、目線をキタンの向こうへと向けると、ドアがある筈の場所に人影が見えた。
いつの間にかドアが開いている。
どうしたんだろう。
「……ロ、シ、ウ」
「俺にだけ……集、中して…ろ」
「そういうワケにはいきません」
突如聞こえてきた声はロシウのもので、俺の見た人影に間違いは無かったんだと……漠然と考えた。見られた
焦りや羞恥心は、不思議と湧き起こる事は無かった。
しかしキタンの方はロシウの声を聴いた瞬間に飛び上がり、俺をヤツの視界から少しでも隠そうとしてくれたのか、
上着を羽織らせてくれた。
「シモンさんを渡して下さい」
「巫山戯んじゃねえよ、お前がシモンをこんなにしやがったくせにっ!」
「僕がそうしたんですから、僕が受け取るのは当然じゃないですか」
「んだと……お……ちょ…」
俺とキタンの周囲を、数人の新政府員が銃を向けながら囲んだ。ロシウに飛びかかろうとしたキタンは、振り上げた
拳を頭上へと上げる。
そんな事をしてもらっては困る、俺は一刻も早く続きがしたい。
「連れて行け」
「何だとロシウーーー!!!!!」
五人の男に連れられたキタンは、反論も抵抗もままならない間に、何処かへ連れて行かれた。
ドアの閉まる音がすれば、そこに居るのは、俺とロシウの二人だけ。
「ふふふ、随分と魅力的な格好ですね」
「そういう事、したいから」
ロシウは一瞬驚いた顔を浮かべると、次の瞬間には黒い笑みへと移り変わった。
少しは舌が回る程度に回復したとはいえ、全身の熱さは一向に収まらない。口の中に受けた刺激は全身を巡り、
一刻も早く行為を実行したい衝動に駆られていて、苦しい。早く、楽になりたい。
気持ち良くなりたい。
「真面目な人ほど乱れるというのは、本当なんですね」
俺の頬にロシウの手が添えられて、彼はやっと俺の欲を満たす為に働いてくれるのだと知り、またその事実に
興奮を覚える。
ロシウはきっと、独房の中でこういう事がしたかったんだろう。他の人物と隔たれた場所で、俺は一生をロシウ
とだけ接して過ごしていたのかもしれない。
だがもう、今となっては結果は対して変わらない。場所が違うだけで、やる事に違いは無いんだから。
窓からは暖かい日が射し込んでいるというのに、まるで暗い闇の底に沈んでいる気分だ。
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これにて、本当の本当に完結に御座います!
本来は続きを書かなかったであろう話ですが、この話を気に入り、尚かつ続きを読みたいとまで
言って下さった杏子さんに感謝の念が尽きません!
この話は杏子さんへ贈らせて頂きます、有り難う御座いました!
そしてここまで読んで下さった皆様、どうも有り難う御座いました!!
2008,05,09
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