暗い闇の底





 俺には足りないものが多すぎた。
 知識、経験、体力、瞬発力、察知力、他にも数え切れない程沢山、足りないものがある。 何よりも足りなかったのは、人を見る目だった。
 蹴られた脇腹が痛い。
 薄暗い部屋の中、天上近くにある小さな鉄格子から光が漏れている。 立った一筋の光がこの部屋の唯一で、全て。
「ふざっ…け、お………ぃ…っ」
 声が掠れて出ない。腹に力を入れると、痛みに圧迫されて肺まで苦しくなった。 総司令官の俺が独房で力無く倒れているなんて、皆が知ったらどう思うだろう。
「随分元気が出てきましたね、シモンさん」
 一筋の光に当てられ声の主の半身が映し出される、その姿を見間違う筈が無い。今まで俺はロシウを相棒 と思って接してきたし、頼ってきたんだ。
 その男に、この独房へ叩き込まれた。
「ロ、シ…ぃ…ってぇ…く、そ」
「随分強く打ってしまいましたから、まだ暫くは痛いでしょう。あまり無理しないで下さい」
 労るなら、最初から優しくしろよ。
 大きく息を吸った瞬間口の中に鈍い痛みが走り、初めて口内が切れていることに気が付いた。
「あれ、シモンさん……唇が切れてますね。痛いでしょう?」
 光の中を通り過ぎ、また暗闇の中に身を潜めたロシウを目で追っていると、 突然顎を捕まれ上に持ち上げさせられた。必要以上に持ち上げられ、身体の節々が悲鳴を上げる。
 痛い。
「応急処置です」
 顔にロシウの息が辺り背筋が氷る、 闇の中であっても距離が近ければ気配が伝わるんだ。何をされるかも、分かりたく無いのに伝わってしまう。 だが何をされるか予測が付きながらも、 言う事を聞かない身体のお陰で対応出来なかった。
 俺の口に。
 何かが当たる。
 考えたくない、俺はこれを知らない。
 そう願うのに、口の中に侵入してくる物体のせいで、嫌でも意識させられる。
「ふぁ、ぅ…っ」
 ぬるりと、嫌な感触が口から垂れて流れる。
 嗚呼……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 塞がれた口は呼吸するには難しく、少しでも多く酸素を取ろうと口を開ければ、嫌なものが中に入ってきて 気持ち悪い。
「っはぁ……っ、暖かい…ははっ」
 顎から手を離され唯一の支えを無くした俺は、また独房の床に倒れ込んだ。解放された口から急いで呼吸をすると、 やはり身体中が痛くなって堪らない。それでも息をしなければ辛い、どっちにしろ痛い。
 嗚呼何だ此、俺が一体何をしたっていうんだ。
「な…ん…シゥ……なっ、で」
「好きだからに決まってるじゃないですか」
 口から流れた液体は、生暖かくて気持ちが悪い。唾液と血が混じり、やけに鉄の味が薄くて泣きたくなった。
「大好きなんです、シモンさん。他の人に見せたくないくらい、貴方の全てを独占したいくらい、笑った顔も、 惚けた顔も、泣いてる顔も、僕の下で動けなくなっている所も全部見たいくらい……大好きなんです」
 本気だ。
 俺は……そんなにも、ロシウに愛されていたのか。
 違う、気付いていた。気付いていながら、変化を望まない俺が気付かない振りを突き通し、ロシウをこんなにも 変えてしまった。
「貴方は総司令です、常に人前にその姿を…何らかの装置を媒体にして現しています。映像や音声越しでも、 貴方を見た人々や仲間が……どんな目で貴方を見ると思っていますか?」
 知らない、知らない、知らない。
 俺は気付いていない、気が付かない、そう……だから知らない。嗚呼、そう言えたらどんなに楽だろう。 自分の事なら何とか分かる、分かってしまう、時折俺を妙な目で見る輩が存在する事に。
「このままなら貴方は、誰かの手に落ちて汚されるでしょうね」
 他人の手に掛かるくらいなら、ロシウ自ら……という所だろうか。全く、嬉しくて腹が立つよ。
「今後は何でもシモンさんの願いを叶えましょう、欲しい物だって何でも用意します。そして僕が、 貴方を守りますから」
 ロシウの用意する俺の世界は、この光一筋しか無い独房での生活だろう。この狭い空間で、この穴蔵のような場所で、 俺に一生を過ごせというのか。
 冗談じゃない。
「脱走しようとしても無駄ですよ、見張らせていますから。それにそんな事をしたら、お仕置きしなければ なりませんね」
 骨でも折られそうだ。それとも変な薬でも盛られるのだろうか。こんな所に居るわけにはいかない、 逃げなければ。
 振るえる片手を襟元にやり、その裏を指で触る。
 ピッ、と。
 小さな音が独房に響いた。
「……今、何をしたんですか?」
「さ……な…ぁ」
 後は待って耐えるだけ。
 今のは発信器だ。俺はロシウに内緒で、カミナシティの発展を自分の目で確かめに行く事がある。見付かると大変な 騒ぎになるから、出来る限りの変装をしてシティへ踏み込んでいる。服を変えると、俺はなかなか印象を変えるらしい。
 調子に乗ってシティで持ち運べない買い物をしてしまった時には、今の発信器を押せばリーロンに現在地が伝わり、 彼がが人を派遣してくれる事になっていた。 だから今も、リーロンが誰かを此処へ寄越してくれている筈だ。
「ふぅん、僕の知らない事があるんですね」
 襟を捕まれ、思い切り引き寄せられた。
 首が苦しい。
「この服、調べさせて下さいね」
 上着を両肘辺りまで下ろされると、方襟を思い切り引き千切られた。当然綺麗に破れる筈も無く、 背中の半分が丸見えになる。
「さて、僕はこれを調べてきますから、シモンさんはこの場所に慣れて下さい。何かあったら、暗闇に向かって 僕の名前を呼んで下さいね、何時でも駆けつけますから」
 光の中を通り再度闇の中へ消えていくロシウを確認して、一気に身体の力が抜けた。 どうして良いか分からなくて、無力な自分が悔しくて、涙が流れた。
「……………ア…ッ………キ、ィ」
 呼びたい名前は声にも成らなかった。
 待つしかない。
 きっとすぐに来る。
 それを信じて。

 待つんだ。


>>



ロシウごめん。
こんな私はロシウが大好きです。

2007,07,25

戻る