18の誕生日
カチリカチリと秒針の音が、照明の落とされた総司令室に響いている。
時の経過を告げるこの音が耳障りで堪らない。
カチリ。
カチリ。カチリ。
簡単に時は進み、それは呼吸をするのと全く変わらない。ごく自然に訪れる事象に、
こんなにも嫌悪を抱くのは初めてだ。
「あと、5分」
あと5分で明日を迎え、明日を迎えた俺は一つ歳を重ねる。
17歳の俺は今日で終わり、明日から18歳の俺が始まる。
アニキの歳を越える。
一年前に17の誕生日を迎えた際は、アニキと同じ歳になった自分が嬉しかった。アニキと同じ事は出来ないが、
アニキに負けないぐらいの男になろうと意気込んだのを覚えている。
コンコン、と。ノックの音が聞こえた。
「シモンさん居ますか?」
「……ロシウか、開いてるから入って来いよ」
光の無い部屋だが不自由は無い。夜でさえ光の絶えないカミナシティでは、常にシティの光が総司令室を
照らし出している。
寝そべりながら窓の外を見ている俺の方へ、それよりも強い一筋の光が射し込みすぐに消えた。
ロシウの気配がする。
カチリ。
カツカツカツ。
時計の音と足音が混ざる。
「シモンさん、大丈夫ですか?」
様子を見に来るだろうとは思っていたが、まさか単刀直入に聞かれるとは。今日一日は普段と全く
同じ行動、同じ表情、同じ対応をしていたというのに、分かる奴には分かるんだな。
「ん、問題ない」
「……凹んでますね」
凹んではいない、複雑なだけだ。
カチリ。
あと4分。
アニキは俺よりも年上の存在で、それは一生変わらない。それなのに俺がアニキよりも年上になるなんて変
だ、何かが狂っている。
「怖いですか?」
「……分からない」
アニキの歳を越えた所で、アニキが俺の弟分になる訳ではない。
アニキは俺よりも年上の存在で、それは一生変わらない。
そう、変わらないんだ。
「何も変わらない、大丈夫だ」
急に視界が霞んで見えた。窓の外の光は強く、もしかしたら日の光よりも熱いのかもしれない。
強い熱を瞳に受けているから、今の俺は涙が出そうになっているんだ。
何も問題は無い、何も変わらない。
「貴方は変わるんですよ」
整理が着いていないんだ、まだ言わないでくれ。
「貴方はもうすぐ18歳になります」
17以上の歳を得ないアニキ。
このままでは、アニキが年下になってしまう。
「何で俺は18に成るんだ?」
カチリ。
あと3分。
時が存在し、またその中に存在する俺は常に変化を伴っている。瞬きや呼吸の様な簡単な動作であれ、
どんな規模であれ、
これらは変化だ。それらが積み重なり成長という変化を今日まで繰り返し、そして俺は18歳になる。
言いたいのはそんな事じゃない。
「分かっているんでしょう?」
分からない。分からないから薄気味悪い。
「シモンさん……怖いんでしょう?」
まさか。
何が怖いと言うんだ、自分の身に訪れる変化全てに怯えているとでも言いたいのか?
ならば的外れでしかない。
「そんな表情をされると、貴方の頭が正常に回転していないと直ぐに分かります」
「何が言いたいんだよ」
「怯えている貴方が心配でなりません」
「……どうも」
不安がっているという判断をされるならまだ分かるが、怯えているという表現は不本意だ。
俺に分からない俺を、ロシウが理解している様に語るのも居心地が悪い。
何に怯えていると言うんだ。
カチリ。
あと2分。
「カミナさんの身長、覚えてますか?」
身長。
嗚呼、嗚呼……。
身体の芯から一瞬にして凍り付いた。
冷や汗が全身を伝い、心音が耳元で聞こえる様に五月蠅く鼓動を始める。
「………嗚呼、そうか」
ロシウの言葉は正しかった。
俺は怖かったんだ。
アニキの一つ一つを忘れる事に、恐怖していた。
アニキは何時も俺より頭二つ分は背が高く、簡単に頭を撫でてくれる……それが、俺の
知っているアニキの身長。相変わらず平均よりは低めの身長だが、今の俺は実年齢よりも明らかに
幼く見える訳ではない。
今の俺の身長からでは、アニキの身長を測れない。
俺にとってアニキはそれだけ背の高い存在であり、同時にそれだけの背を持っているのが普通だった。
だが今の俺より頭二つ高い身長は、アニキの身長ではない。
俺はアニキの正確な身長を知らない。
また成長を遂げた俺にはあの頃の自分の正確な身長さえ不明瞭で、そこからアニキの身長を
割り出す事さえ適わない。
俺は、アニキの身長を忘れた。
カチリ。
あと1分。
「分からない」
「他にもそういうものが有りますか?」
「体格とか、腕の力の強さとか、趣味とか……色々」
「忘れていくのは嫌でしょう?」
「ああ。嫌で嫌で……情けなくて、堪らない」
例えアニキが変わらなくても、俺が変わっていけば嘗てとの差が広がる。そうすると、
過去と同じ考えや対応の通じない事柄も生まれてくるんだ。
極めつけに、薄れる記憶。
俺はアニキの事を一生忘れないだろう。天を指し進むべき道を示してくれたアニキ、合体に妙なポリシーを
持つアニキ、ブータが居なかったら大変な事になっていたであろう温泉でのアニキ
、ヨーコと一緒だったあの夜のアニキ、俺の意思を拳で醒まさせてくれたアニキ……どれも忘れる訳がない。
それでも、印象の薄い姿から段々と薄れていってしまう。
「あんなに大好きだったのに、忘れていくなんてな……」
「シモンさんは一週間前の夕飯の献立を覚えていますか?」
「…………………ははっ、分からない」
「身近な事というのは、逆に忘れていくものです」
ロシウの言いたい事が、何となく分かった。
忘れる事は罪ではないと、そう言おうとしてくれているんだろう。
例外的場面を除き、一週間前の献立を忘れていた所でそれが罪になる事は無い。
記憶が薄れるのは必然的だ、と。
「小さな事を忘れても、大切な事だけは絶対に忘れないようにするよ」
カチリ。
小さな音。
嗚呼。
アニキの歳を、越えた。
「誕生日おめでとう御座います、シモンさん」
「有り難う、ロシウ」
俺はアニキの知らない世界に踏み込んだ。
アニキはもう俺の所まで到達は出来ない、絶対に。それでも俺はアニキの知らない世界で、
アニキの思い出を抱えながら生きていく。
切り捨てたりなんかするものか。
「シモンさん、今のシモンさんとの会話……僕も絶対に忘れませんから」
「……ああ、俺も忘れない」
俺は成長する。
新しい情報に思い出が浸食される事があっても、アニキという存在を絶対に忘れない。
アニキのくれた全てを守りながら、新しい世界を手探りでも生きていくよ。
シモンの誕生日がカミナシティで祝日扱いだったら面白いですよね。
総司令誕生日!みたいな感じで(笑)
カミナの歳を越える直前は、やっぱり怖かったりするんじゃないかなぁと思います。
複雑な心境だったりとか。でも同じ歳になる時も怖いでしょうね。
2007,08,01
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