睡魔





 俺の身体は昔のように機能してくれないんだと気が付いたのは、随分と前の事だった。 それでもまあ、私生活や指示出しに支障は無いだろうと思っていたんだが、そういう訳にもいかなくなってきた。
「……シモン?どうしたのよ、そんな顔して。眠いの?」
「ヨーコ……眠い、恐ろしく眠い」
「今なら大丈夫じゃない?夕食まであと二時間でしょ、起こしてあげるわよ」
 無理だ。
 俺はきっと、明日の昼まで起きられない。
「目覚ましセットしておくから大丈夫。有り難うヨーコ、愛してる」
「っ!……あぁ、もう!不意打ちでその言葉は禁止よ!」
 口元を片手で隠しながら、ヨーコは何処かへ歩いていった。
 顔に出る程眠そうな顔をしているのか、ならこの辺りが今日の限界だろう。明日は何時に起きられるか分からない、 いざという時の為に、ロシウに前もって俺の権限を預けておかないと。
「直接は……無理だ」
 がくりと、膝が沈む。
 何時からだろう、強烈な睡魔に襲われるようになったのは。身体が疲れている訳でもないのに 急に身体が重くなり、寝てしまうとなかなか起きられない。今の所は皆に気付かれずに済んでいるが、 最近は睡眠時間が伸びてきている。
 気付かれるのも、時間の問題だ。
「……駄目だ、時間が足りない」
 何とか自室に辿り着くと、俺はベッドの下へと潜り込んだ。暗い視界、冷たい床、狭い空間、俺は身体を丸めて 眠りについた。




 アニキが頭を撫でてくれる夢を見た。大好きな人が他界してから、どれだけの月日が流れただろう。 彼の存在にしがみついている訳では無く、彼という存在を忘れない為に……頻繁に思い出す。
 この時、夢の内容が変わった。
 今の、大グレン団。
 戦況はどうか、被害はどの程度か、食料に問題は無いか、進行進路は正確か、敵の動きは 予測出来るか、新兵器の改良は進んでいるか、団員の志気は低下していないか、今後どう行動するか。
 まるで走馬燈のように俺の頭を駆け巡る。
 全部、問題は無い。
 被害は修復可能な範囲、食料も補充先が決定している、進行進路を間違いはしない、敵の動きは今の所予測が出来るし、 不意打ちの対策も万全だ、新兵器の改良は一週間以内に終わらせてもらいたい、団員の志気……明日俺が艦内を見回ろう、 今後の事は今後決める。
 嗚呼、起きられそうだ。
 目をゆっくりと開いた。
「シモンが起きたわよ!」
「俺はロシウに報告してくるぞ、これでアイツも安心するだろ!」
 何だ、何でこんなに騒がしいんだ。俺の視界を塞いでいたヨーコとキタンの顔が、花咲くように明るくなっていく。 天上を見上げると此処は医務室だと分かった。一体どうしたんだ、誰に運ばれたんだ。兎に角、何か言わないと。
「お早う」
 間違ってはいない筈なんだが、ヨーコの顔はまるで疲労を一度に受けたようにげっそりとした。
「シモ……」
「シモン、お早う御座います」
 ヨーコの言葉を消して、俺の手を掴みながらそんな事を言ったのはニアだった。ヨーコとは違い、 ニアは俺に何時も通りの笑顔を見せてくれたから、俺も安心してニアに笑い掛けた。
「シモン、身体は休まりましたか?」
「ああ、すっきりした」
「なら良いのです。では、今は何時か分かりますか?」
「分からないけど、多分……昼?」
「それはシモンがベッドの下に潜り込んだ翌日の昼……ですか?」
 この言い方は明らかに俺が間違いを口にしているという事だろう、つまり相当寝込んでいたらしい。 という事は、今は夜だろうか。下手したら深夜を迎えていたのかもしれない、 そうしたら丸一日寝ていたという事になる。
「今は朝です」
「何時の?」
「シモンが寝てから、三日目の朝です」
「三日っ!!?」
 今までは睡魔に襲われても、八時間程度起きられなくなるだけだった。それが、 まさか三日も寝込んでいたなんて。
 医務室に居るであろうリーロンを探し、精密機械の前で俺を見ている彼を発見すると、俺の言いたい事は全て 分かっているらしく、頷いて枕元まで来てくれた。
「シモン……貴方が寝ている間に色々調べたんだけど、睡眠を取るのは良い事なのよ。むしろ寝ているシモンを 起こすと、逆に精神に負荷を与えるわね」
 寝たい時は寝ても構わないという免罪符を得たような説明だが、それを得られる理由が分からない。
「つまりは?」
「シモンは外界から得た情報を、睡眠で整理しているのよ。得る情報と、それを元に自分で生み出す情報量が莫大で、 一度身体の活動を停止させてから情報整理に徹するの」
「器用だな、俺」
「そんな問題じゃないでしょ!」
 声を荒げたヨーコが急に目を潤ませたので、俺の全身は凍り付く様な緊張を見せた。女の子に泣かれると、正直 どうすれば良いのか分からなくなる。
「ヨ…ヨー」
「夕飯の時間だから呼びに行ったら相変わらずベッドの下で寝てるし、起こそうとしても起きないし、 叩いても起きないし、蹴っても起きないし」
 蹴ったのか、道理で背中が痛い訳だ。
「疲れてるのかなと思ってそのままにしておいたら、次の日の昼になっても起きてこないし」
 嗚呼そうか、俺は仲間に心配を掛けたんだ。
 俺は俺で心配を掛けないようにとの配慮だったんだが、こんなにも裏目に出てしまうとは思わなかった。 まさか三日も寝込むとは俺自身でも予想しえなかった。
 ふと笑顔を浮かべているニアの目をよく見ると、赤く張れていた。
「……俺」
 愛されてるなぁ。
「何でこんな身体になったのかは、原因不明だけれども……外的圧迫からの防衛本能が働いたんでしょうね。 今まで随分無理してたんじゃない?」
「無理はしてないよ、リーロン。俺は自分に出来る精一杯しかやってない、それ以上が出来ない」
 自分に出来ない事というのは、思いの外よく理解出来る。やりたくても手が届かないんだから、今の状態では 無理なんだと実感するんだ。
 だから今出来る全ての事を、俺は精一杯やらなければ。
 いや、やりたいんだ。
「リーロン、新兵器の改良は一週間で済ませて欲しいんだが出来るか?」
「え、ええ。任せて頂戴」
「あと俺は昼食を食べたら一般フロアに行って団員の様子を見てこようと思う。 それからヨーコ、敵の行動確認は定期的に実行してるか?大グレン団の状況説明を頼む」
 三日という時間は大きい、随分戦況に変化が現れているかもしれない。何にせよ情報は武器だ、全てを把握 しておかなければ、いざという時に判断と決心が鈍ってしまう。
 バチン、と。
 大きな音と衝撃が頬から耳から全身へ伝う。
 ヨーコの状況説明を待っていた俺だったが、当の彼女に思い切り頬を叩かれた。ジンジンと痛み、 手を当てると若干張れているのか熱かった。
「アンタ、分かってない!」
「ヨー……コ?」
「そんなに急がなくても良いじゃない!そんなに全部一人で判断しなくても良いじゃない!私達を頼ってよ、 もっと私達に任せてよ!身体に負荷が掛かるくらい頑張らないで、少しくらい仕事サボりなさいよ!」
 さっき潤ませていた瞳からは大粒の涙が溢れ始め、益々俺は全身が凍り付いた。どうすれば良いのか分からず、 まるで昔に戻ったように言葉が出てこない。助けを求めてニアに目を向けたら、 彼女はヨーコに同意を示して頷いていた……リーロンも同様に。
「でも、俺は」
「私達に出来る事をシモンが全部しなくて良いの!バックアップは全部私達がするから、シモンは 私達を引っ張っていってくれれば良いの。それは、シモンにしか出来ないんだから」
 そんなに、簡単な事しかやらなくて良いのか。
 ヨーコの言う仕事量が恐ろしく少なく、俺は逆に不安になった。だが確かに、団員の率先は俺にしか出来ない のかもしれない。自分にしか出来ないという考えは痴がましいかもしれないが、 自分の技量を見誤っての判断では無いと自信を持って言えるから、胸を張って発言しても良いだろう。
「……サボっても、良いのか?」
 大グレン団の、リーダー。
 俺が見つけた、俺だけに出来る事。
「シモンは真面目すぎます!」
「そうねぇ、シモンはちょっと頑張りすぎねぇ」
 なら皆の意見に甘えて少しサボってしまおう、確かに今まで気を張りすぎていたかもしれない。
「全権をロシウに預けて、ロシウに対処出来なければ俺が権利を受け取り指示を出す」
 随分、時間に余裕が出来そうだ。
「皆、会議の時までに担当の結果と意見を纏めておいて欲しい」
 意見が確立する過程にまで、首を入れるのは止めよう。それぞれ担当した者を信用して、任せてしまおう。
「皆が何か失敗した時は、俺が後始末をする」
「あら、言うじゃない」
 涙を拭いたヨーコは、俺の胸を数回軽く叩いた。
「シモンに私の尻拭いなんてさせないわよ」
「新兵器の改良は順調よ、一週間以内で仕上げてみせるわ」
「私も朝食用の新メニュー開発に乗り出します!」
 ニアの言葉に場の空気が一瞬凍り付いたが、気にしない事にする。皆の心強い意志と実力は俺が良く知っている、 ならばそれに頼り、助けてもらおう。
「ニア、お腹空いたんだ。何か作ってくれるか?」
「はい!喜んで!」





カミナのパンチとヨーコのビンタは、ちょっと意味が違いますよね。

2007,08,13

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