リンカーネ刑務所生活 3





 正直な所、今日の入浴は何時にも増して最悪なものだった。
 俺自身が嫌な思いをしていないというのに、だ。話の種にされたのは不本意だが、 そんなものは放っておけば良い。問題は周囲のシモンへ向ける目線だ。俺は全く被害を 被らなかったというのに、そのせいで俺の気分は悪くなる一方だった。 何故だかが分からない。
 あの後湯船から出たシモンに対する周囲の視線は、著しく鋭いものへと変わった。濡れた髪、 濡れた身体、濡れたタオルで下腹部を隠して歩く奴から、周囲は決して目を逸らさない。
 凛と前だけを見て歩く、濡れた姿のシモン。
 本人もあまり留まりたくは無いのか、身体を拭かずに脱衣所へと向かって行った。 髪から滴る水、太股を伝う水滴、奴らの目はシモンの全身を眺めていたのが分かる。
 奴へ向ける汚らしい目線に気が付くと、無性に腹が立った。
 そして、今に至る。
「長風呂?」
 脱衣所に戻ると、シモンは上半身だけ裸の状態で髪を念入りに拭いていた。
「俺はお前より後に入ったんでな。髪も長いと、それだけ時間も必要になる」
「そうか、だからニアも風呂が長いんだな」
 ニア姫。
 メッセンジャー。
 今ではシモンと同じく、全国にその名を知らぬ者は無いだろう。流石の俺も、彼女の豹変ぶりには驚いた。
「ヴィラルの髪、拭いてやろうか?」
 ざわりと、周囲の連中が騒ぐのが聞こえる。いちいち五月蠅くて適わない。
「断る」
「ははっ」
 シモンはガシガシと乱暴に自分の頭を拭いているので、髪が痛むのではないかと心配になった。 ああ、何故俺がそんな事を心配しなければならないんだ。何故俺は自分の事が理解出来ない。
 隣を見ると、丁度吹き終わったのかタオルを頭から下ろした所だった。
「……ふぅ」
 深呼吸の様に空気を取り入れて吐くその姿は、グレンラガンで戦う姿からは想像が付かない程に安心しきった 姿で、思わず脱力してしまった。
 それ以上に。
 困った。
 今の動作が、可愛いのだ。
 人間である奴が懸命に頭を拭き、その行動が終了して安堵の姿を見せる。
 一連の動作が、愛らしい。
「ん?ヴィラル?」
「今こっちを向くな!早く服を着ろ、裸猿!」
 身体が熱く感じるのはきっと入浴後だからだろう、シモンを見てから熱さを感じたなど気のせい でしかない。
「シモン元総司令」
 後ろから声を掛けられたシモンに吊られ、俺も声の主へと顔を向けてしまった。関係の無い事なのだから 気にしなければ良かったというのに、反射というのは恐ろしい。
「わざわざ元とか総司令とか付ける必要は無いよ」
 シモンの前に立つ人間の男は、犯罪など起こす気力も無いような人の良さそうな顔をしていた。 人間というのは見かけによらないものだな。
「握手をして頂きたいのです」
 そう言って手を差し出した男の顔を訝しみながら数秒眺めると、ゆっくりとシモンは手を差し出し、 男のそれと重ね合わせた。
 だがシモンの手を、男は空いた片腕も合わせて両手で掴み込んでは、顔の前へと持っていきまじましと 眺め始めた。流石の俺もこれは吃驚する。
「綺麗な指ですね、流石はシモン元総司令の指だ」
「……満足してくれたなら離して欲しいんだけど」
「顔も、実物はさらに綺麗で……!」
 完全に自分の世界へと入り浸っている男に頬へと手を当てられたシモンは、 それでも眉一つ動かさず相手の好きにさせている。
 抵抗の無い態度に気を良くしたらしい男は、さらに手を添えて両手で奴の顔を包み込んでは、満足そうに している。見ているこっちの方が気分が悪い、早く蹴るなり殴るなりしてしまえば良いというのに。
「ずっと見ていました」
 そういえば、聞いた事がある、シモンの事を崇拝する輩が居ると。
 英雄は周囲に囃し立てられ、英雄として祭り上げられた。数々の功績を讃えられ、 新政府総指令の席へと座らされた。 英雄としての功績、そして人を惹き付ける容姿。
 崇高の対象としてシモンを見る。
 必然的だったのかもしれない。そして目の前に居る男が、シモンを崇拝する一人なのだろう。

 嗚呼、我慢がならん。

「五月蠅い!」
 思い切り男の顔面に蹴りを入れてやると、情けない声を上げながら吹き飛び崩れ去った。 周囲の野次馬が気絶した男に近づくと、我先にと蹴りを入れ始めた。 一体何がしたいのだ奴らは。
「シモン、目障りだとは思わんのか」
 余りにも情けないシモンを睨み付けてやろうと思った所で、やっと奴の異変に気が付いた。 手が、振るえていたのだ。
「……おい」
「あ。う……ん」
 呆けた声が返ってくる。
「…有り…難う」
「抵抗しようという気は無かったのか?」
「いや、その……どうすれば良いか…」
 分からなかったという訳か。
 奴ならこんな体験を何度も繰り返しているのかと思ったが、余程新政府の警備に守られていたのだろう。 補佐官の有能な仕事ぶりを改めて実感させられる。
 表情の無い顔で呟くシモンの顔は、風呂上がりだというのに青白かった。
「こんな場所だ、今のような出来事が二度と無いとは言い切れない。次は兎に角相手の顔面に拳を入れろ、 分かったな」
「う、うん」
 ああ。という返事は聞いた事があるが、まさか「うん」という返答が返ってくるとは思わなかった。 幼い頃の口調が一瞬戻ってきたように思える、それだけ精神的に打撃を与える出来事だったのか。
 ただでさえ気分の悪い入浴が、さらに嫌なものへと変化した。



「おい、シモン」
 月明かりの差し込む独房の中から、隣に居るシモンへ声を掛けるも返答が無い。 俺やシモン程厳重に監視される囚人は居なく、 お陰で静まり返った空間は、刑務所内でも数少ない落ち着ける場所となっていた。
「脱衣所で起きたような件は本当に初めてか?この一週間近くで、何度か体験したのではないか?」
 返答は無い。
 こんなにも早い時間に奴が寝ている筈が無いのだから、応えたくないのだろう。 ならばそれで良い、少し気になっただけだ。
「お前は大グレン団のリーダーだ」
 助ける義理もない、気にする義理もない。
「その役に恥じる行動はするなよ」
「ヴィラルは優しいな」
 凹んでいるかと思ったが、声を聞く限り対して狼狽えてはいないらしい。ひとまず安心した。 俺に勝った人間に、情けない態度を取られては堪らない。
「ふん」
 もうじき月が落ちて死ぬとしても、だからといって無様な態度をされては腹が立つだけだ。最期の時まで、 凛とするのが筋ではないか。
「ヴィラル、愛してるよ」
「ゲホッ、ゲホゲホゲホッぐっ……がっは!」
 酸素が喉に詰まった。
 何だ、愛してるとはどういう事だ。どういう意味でその言葉を口にしたのだ、まさかそのままの意味では無いだろう、 そうである筈がない。シモンがその言葉を告げる相手といえば、カミナかニア以外に存在しない。 それがあろう事かこの俺に言うのだ、真意は何だ。冗談であるなら質が悪すぎる。
「……シモン…っ!」
「はははっはっはっ、ヴィラルとはこれから長い付き合いになりそうだ」
「長い付き合いの相手にその言葉を言うのか貴様は」
「長い付き合いをする相手って、どういう関係だと思う?」
「……知らん」
「多分、そのうち分かるよ」
 ゴソリと動く音が聞こえた、毛布にくるまったのだろうか。
 長い付き合いをする、愛を語る相手。考えて見たが、特別な意味は何も思い浮かばない。
 人生の相棒。
 精々その程度だ。意味を拡大して考えてみると、好感を持つ相手という事だろうか。 大切な存在、仲間、共に居たい者……いくら考えても想像がつかない。
 放っておこう、これはどうでも良い事だ。
 気に止める必要は無い。
 だから。

 高鳴る心音よ、止まれ。




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刑務所内でシモンの知らない一面を見ては、ヴィラルがドキドキしてしまえば良いのにと思います! シモンは1部から4部まで色んな人から好かれる存在だと、信じて疑いません。

そして刑務所内で絶対何かあったと思います!

2007,08,20

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