7年を越えて 10





  「アニキは忘れてるかもしれないけど、まだ施設に居た時に話してくれたことがあるんだ」
 俺を養護施設に預けてた親父は施設長のシャクと友人であり、俺を連れて仕事に行けないからと 託児所感覚で施設に置いていったらしい。親父は直ぐに帰ってくるし、俺を預かったシャクもそう思っていた。
 だが、親父は何時まで経っても帰って来なかった。
 最初はただ仕事が忙しいんだと思っていたが、俺が小学校に上がっても連絡さえ無かったことを疑問に思い、 さらに数年経っても手紙一つ寄越さない親父の異変にやっと気が付いた。シャクに尋ねたら「空になったんだ」と、 子供だましを言いやがった。だが俺を想っての表現だというのは十分に理解が出来たから、親父は空になったんだと いう説明を受け入れる振りをした。
 中学に進む頃には親父の面影さえ思い出せなくなった。ただシャクとの会話で時折親父が話題に上がり、そのお陰で 重要な所は忘れずにいる状態だったんだ。自分の親の顔さえ忘れていくのは怖かった。
 だが薄れ行く記憶の中でも、ずっと覚えているのが親父の身に付けていたアクセサリーだった。 幼い俺を撫でてくれた親父の腕や 指からはシルバーのアクセサリーが音を鳴らし、その中でも一際目立ったのが髑髏の付いたブレスレット。
 俺にとって髑髏は、親父を思い出す存在だった。
 だがシモンが語り始ってくれた内容は、ここ数年の二人暮らしや仕事の忙しさに追われて 俺もすっかり忘れていた。だから過去シモンに預けていた俺の思い出を、また返してもらった気分がする。
 俺の変わりに覚えててくれたことを、本気で嬉しく思う。
「アニキはね、アニキのお父さんと同じくらい立派になったと思うんだ。だからそういうの付けると、格好良い んじゃないかなと思って」
 なあ、親父。
 俺は親父が居なくても平気だったのは、シモンが居たからだ。シモンは俺にとって本当に家族で、弟で、その 大切な弟と一緒に居られたからこそ、今日という日まで生きて来れた。
その弟が俺は立派になったと評価して、印をくれた。
「24歳、おめでとう」
 俺は立派だと言ってくれた。
「シモォオオオオオオオオン!!!!!!!」
 ガシャン、と。感情のあまり片手でテーブルを叩いたら食器が悲鳴を上げた。それでも関係無しにバンバンと繰り返し テーブルを叩いちまう。感情が溢れ出て止まらねえ。
「あっ…アニキ、ビールが零れるっ!!」
「んなこと気にしてられっか!!俺のこの感動と嬉しさは動作を用いても表現しきれねえ!!」
「喜んでくれてるのは嬉しいけど、近所迷惑になるから」
 そう言われると俺も弱い。何とか衝動を抑えて、髑髏の指輪を再度眺めた。俺にとって髑髏は父親の象徴だったが、 これからは強い男の象徴だ。
 俺は強い、大人の男だ。
「乾杯したのにまだ飲んでなかったな」
「そうだよ、お腹も空いたしね。早く食べようよ、自信作なんだから!」
「おうよ!」
 貰った指輪を指に填め、兄弟の食事が始まった。
 親父と同様の指輪を手に入れた俺は大人の象徴を受け、くすぐったく暖かな気持ちに包まれた。 あれ程躊躇っていたビールに迷わず口を付けると、一瞬立ち眩みのような目眩に襲われたが、少ししたら湧き出た高揚感 に背を終われるように、何杯もビールを飲んでいた。



 食事は最高に美味くてまさに極上、胃と身体に熱をもたらす酒も楽しかった。食事中の会話も、絶え間なく溢れる シモンの笑顔も、何もかもが俺の望んだ全てで、幸せってのはこういう事なんだと至上の実感を味わった。
 今の状況だって、まさに幸せそのものだ。
 ……俺が純粋にシモンの兄であったなら。
「アニキとこうして一緒に寝られるなんて、夢みたいだ……!」
 俺も夢みたいだぜシモン、こうしてシングルベッドに二人で寝られるなんてなあ。だが俺は「そういう関係」に なってから一緒に寝たかったぜ。俺の自制心が朝まで持ちこたえられるか不安でならねえ。
 食後。
 俺は焼酎、シモンは紅茶という何とも釣り合わない食後の一杯を飲んでいると、気が付きゃあ時計は 日付が変わっていた。好い加減寝なければと着替えを済ませ部屋に向かおうとすると、寝間着をシモンに捕まれた。
『今日だけ、一緒に寝ちゃ駄目かな?』
 安請け合いなんてするんじゃなかったぜ……!
 誘いを受けた瞬間は酔いもあってか、純粋にシモンと寝られる事が嬉しかった。だが酔いが醒めていくにつれて、 段々と不安が増幅していきやがる。
 中性的な顔。
 長い睫毛。
 暖かな存在。
 それが俺の身体に密着して、しかも笑顔まで浮かべてやがるんだ。反応しないワケがねえ。昔は狭い部屋に布団二枚を 並べて、縮こまる様に寝てたってのに、今は広い部屋の中で同じベッドにくるまってる。
「シモン、暑くねえか?寝にくくねえか?」
「そんな事ないよ?」
 良い歳した男二人が同じベッドに寝てるんだ、不自由が無えなんて事はまずあり得ないだろう。やっぱりやめようか、 という言葉を導き出そうとしたが、シモンにとってはこの不自由さが楽しいらしい。何となくそれは分かるんだが、 今の俺には心身共に毒だ。
「アニキの心臓の音が聞こえて、気持ち良い……」
 そう言って俺の胸にシャンプーの匂いをさせた頭を擦り寄せてくるシモンは、 驚異的な破壊力を誇って昇天しそうになる。弟に甘えられて悪い気はしねえ、逆に気分が良い。だがもし、 下半身が反応したらどうする。そして反応した時に気付かれたらどうする。
「それじゃあ、アニキお休み〜」
「お、おう……ゆっくり休めよ」
 俺は休めそうにねえなあ。
 長い夜になりそうだが、これも自制心を鍛える修行という事で耐えるしかねえ。



 どれだけ時計が時を刻む音を聞いただろう。
 あれだけ徹夜を覚悟した夜でも、三時間も経った頃には睡魔が俺を襲い始めた。散々寝ていた身体だというのに、 まだ睡眠を欲する身体に笑いが出る。
 俺の胸に居るシモンはあれから静かに眠っている。人間ってのは現金なもんで、あんなに色欲に対し不安を覚えていた 身体だってのに、睡魔に苛まれている今は色欲なんて欠片も感じやしねえ。だが眠い状態である今の方が、 シモンの存在を純粋に受け止めて喜べる。
「……お前が幸せで良かったぜ、シモン……」
 俺が命を懸けて守り抜いた弟。
 シモン。
「………ニキ…」
 胸元で小さな声が聞こえたもんだから、眠い目を擦りながらシモンの顔を覗き込んだら、涙が一筋流れていて 死ぬ程驚いた。何処か痛いのか、怖い夢でも見たのか、起こすべきか、 兎に角どうすれば良いのか分からず観察していたら、シモンは小さく振るえていやがった。
「心配すんな、シモン」
 呟くように耳元で囁き、俺はシモンの身体を全身で包み込んだ。原因を察するなんて高等技術は俺には無え。 なら、俺の全部でシモンを安心させてやるしかねえだろう。
 自分の無力さが情けなくなるが、これが俺に出来る精一杯だ。
 すると本当に安心でもしてくれたのか、シモンの振るえはゆっくりと収まっていった。俺の腕の中に居るシモンの 熱が伝わって、同時に俺の身体も暖まってくる。相手の心音がゆっくりと全身に響いて、心地が良い。
 シモンは生きてんだなあ。
 そんな事を思った瞬間、はっとした。シモンは夢の中で、俺の生存を疑問視していたんじゃないだろうかと。
 心音を聴くと安堵するのは、相手が生きているという証拠だろう。
 俺は生きている。
 シモンも生きている。

 最高だ。

 気が付いたら、俺の意識は深く暖かな世界へと旅立っていた。



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生き物の、生きる、って事がそもそも凄いと思う。

普段は生きるなんて当然だけども、そうではない経験をしていると、生きる事がとてつもなく大変だと 常に自覚する事になると思う。
シモンにとって、生きる事と、死ぬ事の二つは、特別だったりするのかなあ…と。

2008,05,09

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