7年を越えて 2
白い、全てが白い。
此処は一体何処なんだと疑問に思い周囲を見渡すも、真っ白い世界しか見当たらない。
ただ機械の音だけが静かに響いていやがる。
人の気配の無い、寂しい静けさ。
天上から照らされる光で目が見えなかったらしく、薄ぼんやりと視界で周囲を捉えられるようになってきた。
まずは白い天上と光、そして狭い部屋。俺はどうやらベッドに寝かされているらしい。鼻の穴と腕に異物感を
感じてまず腕を見やると、血管に何本もの針が刺されている。そのチューブを辿るとベッドの脇に設置された大きな
機械へと繋がり、見知らぬ色の液体が俺の腕と機械を循環しているらしかった。
鼻の穴の管からは空気が流れているんだろうか、妙に風を感じてくすぐったい。
次に部屋の中を見ると、そこには俺しか居なかった。設置されているらしい小さな棚の上には、
花瓶に豪華な花束が生けてあり、時間を空けずに誰かが此処に来たという事実を物語っている。
それにしても、綺麗で豪華な部屋だ。俺のアパートでさえ、もっとチンケな作りだってのにな。
機械、個室、花。
此処は何処だ。
此処は病院だ。
病院なんだ。
俺達に向かってくる車からシモンを助ける為に、俺はあいつを突き飛ばして車に跳ねられた
が、肝心なシモンの安否確認は出来なかったんだっけな。
俺はあの時、ちゃんとシモンを助けられたんだろうか。
シモンに会いてえ。
会って、その手を握りたい。一体何日眠っていたんだかが分からねえ。
しかし最低でも一日は仕事に出られなかったんだ、カンカンに怒る上司の顔が目に浮かぶ。
枕元のナースコールを、迷わず押した。
早く退院してあの家に帰ろう、シモンと一緒にカレーを食うんだ。偶には俺の手料理を食わせてやろうと
思ってたんだ、漢なら一度思い立ったら実行しなけりゃな。
廊下から慌ただしい足音がして、ドアが勢い良く開けられる。
「カミナさんっ!?カミナさん意識が戻ったんですねっ!?」
おうよ。
そう答えようとしたのに声が出なかった。口をぱくぱくと動かしていると、看護士の方が気付いたのか
答えなくても良いと言われちまった。情けねえ事に口を動かすだけで激しい疲労に見舞われちまった俺は、
大人しく言われた内容に従う事にした。
「早く先生をっ!!その後弟さんに連絡をして!」
「はっ、はいっ!」
よく見ると看護士の人数は一人二人じゃねえ、五人……いや六人だろうか。それだけ多くの看護士に
囲まれるような病状じゃあねえと思うんだが、まあ居るに越した事はねえだろう。
暫くすると、いかにも威厳を持った男が病室に現れてきた。身体の痛みや知覚に問題が無いか聞いてきた後に
俺の目玉を調べると、今の所の異常は見られないと告げられて安心した。体力が回復したら精密検査を受け
させられるらしいが、まあ俺の事だから問題なんざ無えだろう。
声が出ない俺の様子を、医師は丁寧に教えてくれた。
まず体力が無いんだという。身体に栄養を送ってはいるが、固形物を摂取していないが為に、
体力が極端に磨り減っちまっているんだと。こんなにも短時間に体力が落ちるなんざ、俺の身体も
情けないもんだ。
「…ま、すぐ……飯…」
「カミナさん…?」
「…飯…」
病院ってのは、食事の時間も就寝時間も全部定められてるんだろう。だが俺は一刻も早く体力を回復させたくて、
食べ物を要求した。多分断られるんだろうと思ったが、医師はすんなりと俺の要望に応えた。
数分後に机に並べられたのは、少量のお粥。
巫山戯てんのかよと思ったが、口に運んでみたら思いの外胃に入らねえ。
まず口の中に含んだ時点で吐き気がした。それでも気合いで蓮華に乗せた半分の粥を胃に注ぎ込むと、
喉が苦しくて涙が出そうになり、また飲み込むと腹に異物感を感じて気分が悪い。
この一連の動作を繰り返さなけりゃならないとは、今の俺には飯を食うのも大変なんだな。
「カミナさん無理をしないで下さい、暫くは栄養点滴で…」
「…く、う…」
早く回復したい。
今の状態じゃあシモンと満足な会話も出来ねえ。俺は会ったら目一杯話をしたいんだ、一刻も早く
体力を取り戻したい。だから、この粥くらいは食ってやる。
見事粥を食べきった俺の様子に本気で驚いた医師を見て、勝手な自己満足と達成感を得た。
しかし飯を食うにもここまで体力を使うとは思わなかった、流石に疲れて眠い。
もう一度、ベッドに潜り込んだ。
「----キは--識----無事----良---った---」
また、まどろみの中で声が聞こえる。
大人びたシモンが誰かと会話をする声が聞こえる、少し俺から離れている間に逞しくなったんだろうか。
悪い事をしちまったな、俺が戻ったら……また何時もみたいに甘えて良いからよ。
もう少し、待っててくれ。
飯を食って寝る。
そんな生活が暫く続くと、ベッドから起きあがるのは大変だが、会話をするには不自由の無い程にまで
回復した。医師や看護士は俺の回復力に驚愕を示していたが、俺自身としてはこのくらいは当然だ。
「よう、看護士の姉ちゃん。俺に面会者ってのは一人も来てねえのか?」
俺が目を醒ましてから、誰も面会に来やがらねえ。其処までして見舞いに来て欲しい訳じゃあねえが、
シモンがどうなったのか気になって仕方がない。シモンも用事があるのかもしれねえが、一度で良いから
顔を見せて欲しかった。
「沢山来ていますよ、一番回数が多いのは弟さんですね」
「来てんのかよ!なら顔くらい見せろってのによぉ……」
「タイミングが合わないみたいで、皆カミナさんが寝ている時に来ていますよ」
何だ、そういう事だったのかよ。
俺って実は嫌われてんのかと思っちまったじゃねえか、嫌な心配させやがって。兎に角シモンが
足繁く通ってくれてんのが分かって良かった、俺にとってそれだけが今の幸せだ。
でも見舞いに来てくれてんのに、誰一人として起きた顔を見せられなくて申し訳ねえな。
「シモンの奴、俺が起きてる時に来ねえかなぁ」
「どうでしょう、弟さんはお忙しいですからね」
「大変?中学は今、試験中か…?」
「……中学、ですか?」
看護士が急に手を顎に当てて何かを考え始めた、何かが噛み合わねえ。看護士と俺との間には、
何処か食い違いが見られる。
何だ?
一体、何だ…?
ガラリ、と。
その時、静かにドアが開けられた。
また別の看護士が来たのかと思ったが、俺はドアから現れた人物に息を呑んだ。
まさかそんな、まさか。
「あ、アニキ……っ!!」
白い服の似合った、青い髪の……青年。
少年じゃねえ。
青年だ。
だが、確かに其奴は。
「……シモンか……?」
そんな馬鹿な。
ついこの間まで中学生だったシモンが、何だってこんなに大きく成長してるんだ。
短時間で成長期を過ぎたのか?
「あっ、アニキぃいいいいいっ!!!!!!!」
持っていた荷物を全部放り出したシモンは、ベッドへ勢い良く駆け寄ると俺に強く抱きついた。
「ちょ、シモっ…!!」
「アニキ、アニキアニキアニキ!!もう、もう会えないかと思った。俺のせいで、アニキ…死っ!!」
首もとに、冷たい感触が滴る。
シモンの涙だ。
身体が以前と比べて随分大きく成長しているシモンは、それでもやはり俺の知っているシモンと
全く変わらない。俺の事を心配して、俺の事を慕ってくれる。
「死なねえよ、それよりお前が無事で良かった」
「アニキのお陰で……ああ、ちょっと待って…涙、拭くから」
ハンカチを取り出すと、片目ずつ丁寧に拭いていく。
睫が長いな、と思ったのが最初の感想。シモンを観察すると、細いながらも綺麗に整った筋肉と、細い腰。
そして何より中性的で綺麗な顔をしている。
随分と、美人に成長したもんだ。
兄貴分らしからぬ感情に襲われながらも、以前とは違うシモンに対し、以前よりも大きな、
兄弟以上の愛を感じているのは確かだった。まさかここまで美人に成長するなんて誰が思うだろう。
「しかし成長したなぁ、シモン。中学はどうなったんだ?」
「っはは!中学は卒業したよ、アニキ」
中学を卒業したというその言葉に、一瞬背中がぞくりと逆立った。
俺はどれだけの期間寝ていたんだろう。そういえば今まで医師も俺が眠っていた時間を告げなかったし、
俺も聞かなかった。互いに俺の体力回復に専念していたから、抜け落ちちまってたんだろうな。
しかし中学を卒業しているという事は、あれから2、3年は経っているという事か。
そんなにも長い時間、俺はシモンを放って眠り続けていたという実感が湧かねえ。
ぼんやりと思ったのは、職場に俺の籍はねえんだろうなという事実。
仕事が無けりゃあ、今後シモンを食わせてやれねえ。
「じゃあ今は高校か?」
「残念、大学生だよ」
「だっ、大学っ!!!!!!!?」
シモンの姿を上から下までじっくり見やると、
そんな此奴は照れた顔を見せるので俺まで恥ずかしくなっちまった。
その顔で照れられると、犯罪的に可愛い。
昔は子供らしい可愛さがあったが、今ではもう大人としての可愛さに包まれていやがる。
しかも美人。
どうせならシモンの成長を見守りたかった。
「もしかして……アニキは何年眠っていたか知らないの?」
「あ?知らねえよ」
「……………」
はっとした様子を見せる看護士にシモンが無言で目線を来ると、彼女は何度も頭を下げながら
謝罪の言葉を繰り返し告げた。
「アニキ、よく聞いてね」
医師の元へ告げに行った看護士の背を見送ってから、俺と向き合ったシモンが言う。
「アニキが寝ていたのはね、7年……なんだよ」
全身の血が引いていくのがわかる。
7年。
俺は、眠り続けていた。
14歳のシモンは、今では21歳。
俺は、24歳か。
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やってしまった現代パラレル。
もう少しくらい続かせたいなぁと思ってます…!
医学知識は皆無なもので、矛盾がありましても…パラレルという事で…!
2007,09,23
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