7年を越えて 3





 ベッドに潜り込むと、掛け布団を耳が隠れるまで引っ張った。口元が隠れて息苦しいが、 今回ばかりはそんな事はどうでもいい。俺は只何か動作をしていたかった。 何かしら手足を動かしていなけりゃあ、頭が混乱して変になりそうだ。元々考えるのは苦手な質だってのに、 強制的に訪れる消灯時間は全ての行動を封印させて、 今日聞いた事実やシモンの言葉が脳裏を何度も往復しやがる。
 お陰で疲れてはいるが、てんで眠れやしねえ。 この真っ暗な部屋はまるで俺に情報整理を要求しているようで、 焦燥を湧き立てる闇に腹が立つ。
 シモン。
 大きく成長した彼奴は俺の知っているシモンとは別人に等しかったが、それでもシモンはシモンだった。 言葉を交わせば同じ反応を示し、大人びた綺麗な顔で笑顔を作る。シモンに会えただけで、俺は幸せだ。
 それなのに、身勝手な不安を一つ感じる。
 俺が昏睡状態だったのは7年という長さだが、自分が感じた時間は数日という短さだった。 たった数日眠っていただけだというのに、周囲は人も建物も全てが変化していて、まるで時間を飛び越えたかのような 体験をした。俺を残して変化を遂げた世界に、得体の知れない恐怖を感じちまう。
 情けねえ。
 珍しく弱気になってるみてえだ。俺は自分の両頬を軽く叩いて気合いを入れ、気分を変える為にシモンの事を 思い出した。
「……そういや彼女とか居んのか…?」
 あれだけ綺麗な笑顔を向けられたら、女なんて簡単に落ちるだろう。 考えると急に不安になってきた。 大切な弟を見知らぬ女にやりたくねえし、男にやるなんてそれこそ冗談じゃねえ。 もし男にくれてやるぐらいなら、この俺がシモンを大切に、そして幸せにしてやる。
 勝手に腹を立てても始まらねえ、次シモンに会ったら聞いてみれば良い。 静かに目を閉じると、俺は今日の事を思い出した。得た情報を整理して、少しでも頭を 落ち着かせよう。



「アニキに突き飛ばされた時は何かと思ったけど、その直後にアニキが立ってた場所に車があって、しかも電柱に ぶつかってるんだよ。何が起こったのか一瞬じゃあ分からなかったよ」
 あの時の俺は、ちゃんとシモンを安全な所まで突き飛ばせていたらしい。だがそれは逆に シモンにとっては信じられない程酷い光景を見せつけたと、 まるで泣き出しそうな表情を作りながら呟いた。
 一瞬にしてシモンの視界から消え去った俺は、随分遠い距離まで飛ばされたらしい。 跳ねられた俺はシモンの眼前に血の雨を降り注ぎ、最後に俺が地面に叩き付けられる事によって雨は止んだ。 一度咳をすると同時に大量の血を吐き出した俺を見て我に返ったシモンは、 必死に名前を繰り返し叫んでは、どうする事も出来ずにその場で震えていたという。 そりゃあそうだろうな、そんな事故に遭遇したら誰だって腰が抜けて立てなくなるだろう。
「俺が幾ら叫んでもさ、アニキ全然反応しなくて……血は沢山流れるし、車の運転手も気絶して 運転席で倒れてた。俺一人どうすれば良いか分からなくて、アニキの名前をずっと叫んでたら……キタンが 来てくれたんだ」
 キタンは同じアパートに兄妹で住む、俺と歳の近い男だった。面倒見の良い奴で、 シモンも気楽に接していたのを覚えてる。
 事故はアパートの直ぐ側で起こったから、シモンの異変を聞きつけた キタンや他の住人が様子を見に外へて来た事により、事故の対処の為に警察と救急車が呼ばれたんだそうだ。
「……アニキはさ、死んだんだ……って思ったよ」
「馬鹿言え、俺が死ぬ筈ねえだろうが!」
「ははっ、そうだね!……でもずっと起きなかった」
「うっ……」
 また泣きそうな顔を見せるので、俺は無言でシモンの頭を撫でる事しか出来なかった。 この顔で泣いたり笑ったりされると何も出来なくなる、見惚れちまうんだ。 触り心地の良い綺麗な髪を撫でていると、 シモンの方も嬉しいらしく、黙って俺に頭を差し出していた。
 こういう反応が可愛いんだよなシモンは。20歳を越えても俺に甘えてくれるんだ、 妙に嬉しくなっちまって堪らねえ。
「なあシモン、俺達……また一緒に暮らせるか?」
「当然だよ!アニキが良いなら、俺…っ!!」
 俺が眠っている間、シモンの生活環境は随分と変化しているだろう。
 年齢的に考えて、もう児童養護施設は出ている筈だ。一人暮らしなのか友人と一緒に住んでるのかは 分からねえが、今更俺との生活を好むとは限らねえと思ってた。 俺の住んでいたアパートは契約が切れてる筈だから、誘いを断られたら諦めて新しい家を探そうと 思っていた。
「……そ、そうか!!なら退院するぞ、今直ぐだ!!」
「たっ、退院は無理だよっ!ちゃんと回復してからにしようよっ!!」
 それがどうだ。
 シモンは花咲くような笑顔で、俺の提案を了承してくれた。 ずっと一緒に暮らしたいと語り合ったあの日と、シモンの意志は全く変わってねえ。
 7年経っても、そのままだ。
 俺にはその事実が、どうしようもねえくらい嬉しかった。



 気が付いたら起床時間だった。
 いつの間に寝ていたのかは分からねえが、それでも気分が良いから回復はしているんだろう。 窓から差し込む光を一頻り全身で浴びると、俺はベッドから降りて部屋の中をゆっくりと歩いた。 一歩一歩が重く、意図せず身体が傾いて気持ちが悪い。まだ、体力が足りない。 取り敢えずは朝食の時間を待って、それからリハビリに励んでやろうじゃねえか。
 退院すれば、今度こそ施設の束縛を受けない、シモンとの薔薇色の生活が始まるんだ。 考えただけでも胸が高鳴るってのに、その上笑顔が溢れて抑えきれねえ。
 大学生活を送るシモンは、どんな日常の中に居るんだろう。家で課題やレポートに追われたり、就職活動に 勤しんだりしてんだろうか。サークルってのもどうなんだろうな、もし参加していたらそれは どんな内容なんだ。
 嗚呼、聞きたい事が山程ある。
 それから、数時間。
 気が付いたら、昼食の時間が終わっちまった。
 少しずつ眠くなってきたんで寝ちまおうかとも思ったが、 俺が寝ている間に面会が来る事が多いって言ってたしな、もう少しだけ耐えてみよう。 またシモンが来てくれるかもしれねえ。

 ガラリ、と。

 その時ドアの開く音がして、シモンが来てくれたのかと胸が高鳴った。 昨日の数時間じゃあ会話が足りねえ、数日が吹っ飛ぶ程の時間をシモンと語り明かしたかった。
 だがドアから現れた人物は、俺の期待する人物ではなかった。
 それでもその人物が嬉しい顔である事に変わりはなく、俺がその人物に片手を上げると、相手も同じように 手を上げて挨拶してきた。
「おう、カミナ!意識が戻ったってシモンから聞いたが、本当だったんだなあオイ!長い間待たせやがって!!」
「うっせえんだよキタン、シモンに馴れ馴れしくしてんじゃねえ!」
 嫌味を言っているように聞こえるだろうが、これが俺と奴との一般的に付き合いだった。 バンバンと互いの肩を叩いては、大声を上げて笑う。
 嘗て成長途中のシモンとは違い、キタンには外見的な変化が殆ど見られない。 それは時間に取り残された今の俺にとって何よりも落ち着き、そして何よりも安心出来た。
「仕事はどうしたんだよ」
「有給使ったぜ?」
「っかー!気楽なもんだなあ」
「7年寝てたお前に言われたかねえ!」
 7年という言葉に意識が捕らわれ、身体がびくりと反応した。だがキタンに言われたんなら、大した問題じゃねえ。 一瞬表情を固めた俺に驚いたキタンへ向け、口元を目一杯上げて笑ってやった。俺はそんなに弱くねえんだと、 知らしめるように。
「そうだカミナ、今日は良いもん持ってきたぞ」
 使い古されているであろう汚れの目立つ鞄に手を入れると、キタンは何かを探して漁り始めた。
「俺ぁ病人だぜ?メロンでも持って来やがれってんだ」
「お前にとっちゃあ、メロンよりも良いものなんだがなぁー…?」
 不敵に不気味な表情を浮かべたキタンが手に持っていたのは、厚く大きな本だった。 よくみるとそれは一枚のページ自体が厚く、紙というよりはプラスチックのように見える。
「……アルバム、か?」
「おう、シモンのアルバムだ」
「何だとっ!!!?」
 ちょっと待て、何故同じアパートに住んでるだけのキタンが、シモンのアルバムを持っているんだ。 当然ながら俺はシモンのアルバムを持ってやしねえし、自分のアルバムさえ作った記憶もねえ。 まず写真なんて撮らねえし、そんな金があるなら食費に注ぎ込んでたんだ。 ならキタンがアルバムを持っているという事は、キタンが作ったという事だろう。



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パラレルでも、相変わらずシモン総受けがやりたいです…!

2007,09,30

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