7年を越えて 7
「何でお前みたいな奴に連れてかれなきゃなんねえんだよ!」
「ふん、貴様シモンをまるで理解していないな。シモンが路上を歩いて見ろ、ファンと報道カメラに
どれだけ囲まれると思ってる」
「ま…まあ、二人とも…」
退院許可を得た俺は、精密検査の直後真っ先にシモンへ連絡を入れたら、受話器の向こうでシモンは
泣きながら喜んでくれた。
こういう反応をされると、嬉しくて仕方がねえ。思わず抱きしめてやりたくなるが、いかんせん
電話じゃあ声しか届きゃしねえんだよな。この距離がもどかしい。
そして二人の生活を迎え入れてくれたシモンは、ひとまず自分の家に来いと言ってくれた。
今までの入院費やアパートの面倒を全部シモンが見てくれたっていうのに、
まだ世話になる事しか出来ない自分が情けねえ。
しかしまあ出来ねえ事は仕方がねえだろう、俺が大物としての地位を取り戻した時に、何倍もの
礼をしてやれば良いんだ。
「こんな兄と二人暮らしとは嘆かわしい……おいシモン、
嫌になったら直ぐに言え。社長なら部屋を二つ用意する意志もあると言っていた」
「おい手前!俺とシモンの仲を其処まで割きたいか!!」
退院の日、シモンが俺を迎えに来てくれる事になった。幾ら俺でも行き場さえ指示してくれりゃあ一人で
向かえると思ったが、土地勘の全くない大都会で迷わねえ自信もねえ。今日の所はシモンの
好意に甘えようと思ったら、ヴィラルの運転でシモンがやって来た
んだから何とも複雑な気分だ。
だが来る時には助手席に座っていたシモンが、俺と一緒に後部座席に乗り込んだ時は、ヴィラルよりも
俺を優先してくれたんだと分かって心が跳ね上がった。
「そうだな、貴様の失態でどれだけシモンが困る事になるか分からん」
しかし相変わらず腹の立つ言葉を吹っ掛けてくる此奴を、一発ぶん殴ってやりてえ。此奴がシモンの
マネージャーなんかじゃなければ、今すぐにでもぶん殴ってやるのに。
「アニキは迷惑なんかじゃないよ、ヴィラル」
後部座席に並んで座っているシモンが、俺を真っ直ぐに見つめて笑うもんだから、その綺麗な笑顔に
また見惚れちまった。
「俺はアニキが側に居てくれれば良いんだ。アニキの行動も思考も全部が俺の幸せに繋がるから、
迷惑なんかじゃないんだよ」
「シモーーーーーーーン!!!!!!!」
「うわっ!」
両手を大きく広げると、俺は強くシモンを抱きしめた。それなりに鍛えてはいるが、それでも細いと言える身体を
腕の中に抱きながら、その艶やかな髪に手を当て顔を埋めると、シモンも俺の背に手を回してくれた。
弟にここまで慕われるなんて幸せでならねえ。
そして兄弟の情らしからぬ想いを抱く俺にとって、この反応は二重の意味で嬉しかった。
「貴様シモンから離れんかっ!!」
運転しているヴィラルは手を離す事も顔を正面から逸らす事も出来ず、ただ声を張るだけだった。
何も出来ない様子を見るのが面白く、俺はあえてヴィラルの言葉を完全無視してシモンの顔を見る。
「そういや昨日キタンから聞いたんだけどよ、お前ダイグレン大学に入ったんだってな!
凄えじゃねえか!!」
「え、あ……いやでも、成績悪くってさ」
「標準が高すぎるんだぜ?そんな所で頑張ってるなんて凄えじゃねえか!」
「……そうかな…えへへっ」
正面のミラー越しにヴィラルを見ると、屈辱に歪んだ表情が映っていた。
そりゃあ恋い焦がれる相手が恋敵の腕の中で喜んでちゃあ、彼奴としては面白くねえよな。
俺は最高に面白いけどよ。
「そういや、シモンは何を基準に大学を決めたんだ?学科か?」
キタンは志望理由をシモンに直接聞いてみろと言ってたな。
俺が聞くとシモンは俺の腕の中で若干頬を赤らめてから、ゆっくりと目を逸らした。
こういう反応がいちいち可愛いんだ。
「まあ、学科もそうなんだけど……アニキが喜んでくれるかなって」
「……俺か?」
「アニキが起きた時にさ、知名度の低い大学よりも高い大学に行ってた方が、他人に
自慢出来る弟かなあ…って思ったんだ」
一瞬信じられなかった。大学生活で得られる時間は一生の内で考えると非常に短いが、
それでも最後の青春時代を送る重要な時期だろう。
そんな重要な時間を過ごす場の選択を、俺の為にと考えてくれた。
病室を用意してくれて。
7年間俺を生かせてくれて。
俺の為になるよう、様々な配慮をしてくれた。
「何処の大学に行ってたって、お前は立派な弟に決まってんだろうが!」
大学の名前なんかでシモンの価値は決まらねえ。シモンがどれだけの人格や技量や意志を持っているか、
それがどんなに価値のあるものかを俺は十分に知っている。
「……でもまあ良い所に行ってると、自慢出来ちまうよな」
「本当っ!?」
「貴様の自慢になんざ成らん、シモンの実力はシモンにしか自慢出来んだろうが!」
「俺も鼻が高いぜ、シモン!」
「……くっ!」
ヴィラルの存在を意図的に無視した俺の態度に笑みを浮かべたシモンは、それでも笑い声を堪えていたが、
最終的には抑えきれず吹き出した。
ふとミラーを見ると、まるで泣き出しそうな顔をしている運転手が見え、流石の俺もやりすぎちまったかと
小さな罪悪感に苛まれる。でもまあ敵対的な態度を取っていた割には打たれ弱い様子を見ると、
シモンに無理矢理な仕事を持ってきたりという事は無えんだろう。
「アニキちょっと巫山戯すぎだよ!ヴィラル気をしっかり持ってくれ、俺はヴィラルの事も
好きだから!!」
「……フン…」
拗ねた筈のヴィラルは、その一言で復活したらしかった。
「で、これがシモンの家か……」
案内されたのは、都心に聳える高い集合住宅だった。
此処は株式会社テッペリンでも重要な役に就いている者の為に、低家賃で貸し与えているらしい。
階層の位置と地位が比例するため、上の部屋を与えられればそれだけ地位が高いという証明になる。
目に見える地位ってのもどうなんだろうかと思ったが、ヴィラルはこの集合住宅の1階に住んでいると言っていた。
それを考えると、シモンの社内での評価は高い部類なんだと感じて妙に誇らしくなった。
「ちなみに最上階は60階で、俺は24階に住んでるんだ」
「お前程凄くても24階かよ」
最上階を見ると、その階全てが一室になっているらしい。一階は普通のマンションと同じようだが、
上に上がるにつれて、豪華な作りになっているんだろう。
「俺は凄くないよ。テッペリンって元々は芸能家業には手を出してないから、俺も普通の社員扱いなんだけど、
一般の仕事なんて何も出来ない社員がこんな所に居るんだから……異例みたいなもんかな?」
社員、という言葉にドキリとした。
言うなれば俺は無職という立場だというのに、シモンは学生でありながら社員でもあるというんだ。
そういう二重の社会に在籍する事が可能なのかは俺には分からねえが、その生活は簡単なもんじゃあねえだろう。
「テッペリンの運営する芸能系子会社とか無いのか?」
「無いよ、テッペリンが抱えてるタレントは俺だけ」
「マジかよ」
一人の人間を例外的にタレントとして抱えるなんて、そんな事が有るんだろうか。しかし事実シモンが
そういう立場なんだから、信じるしか無いだろう。
どうしてそんな立場になったのか、どうやって芸能界にデビューしたのか唐突に興味が湧いた。
考えてみると、シモンは凄い場所に身を置いてるのかもしれねえ。一流会社がただ一人抱えるタレントで、
学生であると共に定職へも就いている。
「なあ、シモン。お前がこの世界に入ったのは自分の夢の為か?それとも単に金を稼ぐ為か?」
その疑問を口にした瞬間、隣に立っていたシモンの顔が一瞬にして青ざめた。もしかしたら
この業界に身を置くのは、不本意な事なんだろうか。もしかして俺の入院費を稼ぐ為だけに
始めたんだろうか。
考えると俺の方が震えそうになった。
「……この話は兄弟でした方が良いだろう。俺は帰るから、何かあったらすぐに連絡しろ」
「ああ、有り難うヴィラル」
エントランスホールでヴィラルと別れると、一階に近い箇所に止まっているエレベーターを見つけて
ボタンを押した。数あるエレベーターは頻繁に可動し、シモンは出てきた人物と時折会釈をしていた。
「アニキ、俺はどういう気持ちでこの業界に入ったか……よく覚えてないんだ」
ポツリと話したシモンの言葉は、やはり好んで自ら身を投じた訳じゃあねえって事なんだろう。
「でも今は楽しいよ、凄く毎日が充実してるんだ」
「本音を話して良いんだぞ」
今だ青ざめた唇で説明するシモンを見て、これが心から楽しんでいるたあ思えねえ。
だがそんな心配を余所に、俺の顔を見据えたシモンが急に笑い初めて拍子抜けしちまった。
「なっ、何だよ!」
「大丈夫、今はちゃんと楽しいから!……デビューの頃はさ、アニキの状態が本当に絶望的だったから
……思い出すのが怖いんだ」
「馬鹿野郎、俺を見てみろ……無事だろうが!もう無駄な事で怖がる必要なんざ無えだろ!」
「ははっ、そうだね……もう安心して良いんだよね」
俺にとっては一瞬で、同様に長い期間である7年。
自分の事でありながら、どれだけの期間を掛けて身体は回復したのか、寝ている間に呼吸が止まったり
別の病気に掛かったりという出来事は無かったのか、俺は何も知らない。
自分でするべき心配を全てシモンに押し付けていたんだと思うと、胸が張り裂けそうになった。
「後でさ……俺のデビューの切欠とか、アニキに話しても良いかな?」
「おう、むしろ聞かせてくれよ!気になって仕方ねえ!」
チン、と。
その時、軽やかな音と共にエレベーターが開いた。
「あら、シモン。お帰りなさい」
華やかな声に導かれ、俺とシモンの視線は正面へと向けられる。
青色を帯びた綺麗な長髪を揺らした女が笑い掛けると、シモンが最大の笑顔を浮かべながら女に手を振った。
その頬は若干赤を帯びている事から、シモンにとってこの女は特別な存在だという事が伺える。
俺は感じ取った。
此奴は恋敵だ。
「ただいま、ニア。行ってらっしゃい」
ニアという名前はつい先日聞いたばかりだから覚えている。
シモンを精神的に助けた少女。
当時の様子を少女として聞いていたから中学生の姿を想像していたが、シモンの成長と同様に其奴も
大きくなったんだな。
ニアという女は、俺から見ても美人と思える程に綺麗な容貌をしていて、シモンと並ぶと互いが互いを引き立て合って
いる。
悔しいが、絵になるんだ。
「お久しぶりです、アニキさん」
「おう、シモンが世話になったみてえだな……礼を言うぜ!けどよ、俺とお前は初対面の筈じゃねえか?」
「いいえ、初対面では有りません。私の声を、よく思い出して下さい」
初めて会った女に初対面じゃあ無えと言われるとは思わなかった。ふわふわした不思議な奴だなあと思って
ニアの目を見たその時。
ぴりりと。
電流のような緊張感が全身を駆けた。
ふと思い出す……嗚呼、俺はこの声を何処かで聞いていると。
「それじゃあ、私は用事が有るのでまた今度」
「何時でも遊びに来いよ」
「ふふっ、手料理を持ってお邪魔させてもらうわね」
何処で聞いたかを思い出す前に、ニアは長い髪を風に揺らしながら出口へと向かって行った。
気が付くとエレベーターの中に乗っていたシモンに誘われ、俺達は目的地である24階のボタンを押した。
緊張感の正体が掴めねえのは気持ち悪いが、まあ分からねえもんは仕方がねえだろう。
俺は今後向かえるシモンとの生活を想像しては、緊張感を払拭して胸を弾ませた。
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カミナ最大のライバルはニアだと思うんです、アニメでも。
2007,10,16
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