7年を越えて 9
やっとCMの余韻に支配された世界から現実世界戻って来た時、上から下へと俺の身体に鳥肌が立った。
必死さを表現する危なげな走りは、シモン以外には出来ないだろう。そして大人しいシモンの叫び声は、
想像以上に雄々しく、また夕日と相まって哀愁を誘うものだった。
「……凄え……!」
「いやっ、その…素人丸出しで今見ると恥ずかしいよ…!」
「謙遜すんなって、初めてでこんな必死な演技するなんて凄えじゃねえか!」
ビデオをまた巻き戻して30秒の短いCMを繰り返し見るが、全く飽きが来ねえ。どう頑張っても
シモンの顔がよく見えないのが勿体ないが、影に隠れている方が見せ方としては効果的だろう。
「これは演技じゃ無いんだ、地なんだよ」
「そうなのか?」
撮影は一度で済んだ訳じゃあなく、何度も取り直しをする度に全力で走らされたシモンは、
不満も言わず黙々と走り続けたらしい。本人は無言の威圧を撮影スタッフに見せていたらしいが、
そんな小さな態度を気にしないロージェノムの器の大きさのせいで、逆に倒れ込む程走らされたという。
「でもそれが……楽しかった」
病院では眠り続ける俺の側で静かに俯き、キタンの家では角で丸くなっていた。そんなシモンが
全身の力を使って走るのは久々で、縮こまった身体が伸びるようで気持ちが良かったんだとよ。
「最後の叫びもストレス発散になったのか?」
「なったなった!逆光で見えないけど、俺この時大泣きしながら叫んでたんだよ!」
「マジか!?」
全部見たビデオを少し巻き戻し最後のシーンで一時停止をすると、確かに叫んでいるシモンの顔には
涙が零れていた。
「アニキが事後に遭た日以来は、何でだろう……泣かなかったからさ、アニキアニキアニキー…って、
もうアニキのこと想って、叫んで、泣いて……」
シモンには申し訳ねえが、どう見ても愛の告白にしか聞こえねえ。そんなに俺を想って目一杯感情を
不安定にして、さらには泣いたり叫んだりしてくれるだなんて事実を思い人にされてみろ、嬉しくて適わねえぞ。
そんな俺の葛藤に気付かねえシモンは、照れたような笑いを向けてくれる。
「この撮影のお陰でストレスの発散が出来たし、社長には気に入られて別のCMにも沢山出してもらう
ことになっ……てっ!?」
会話の途中で、俺はシモンを思い切り抱きしめた。俺自身のことでシモンがこんなにも胸を痛めていた事実が逆に
俺の胸を痛めるが、それでもやはり嬉しいと思っちまう自分を抑えられねえ。
抱きしめたシモンは、気持ちの良い匂いがした。
「あっ、アニキっ!?」
緊張して心音が速度を上げる。
「気にすんな。続けろ、続きが聞きてえ」
俺の胸の音が大きすぎて、シモンにも聞こえるんじゃねえかと不安になったが、
むしろ聞こえちまった方が良いのかもしれねえな。
「う……ん、社長のロージェノムが俺を気に入ってくれて、何度もCMに使ってくれたんだ。
俺への出演料とアニキの医療費を貸してくれて……」
俺とは一回り細いシモンの胸が、違和感を感じる程に鼓動を早めていると分かった。緊張しているんだろう、
その緊張がどんな意味を持つのかを見極められねえが、今は大人しく俺の腕の中に居るんだから、それで
良しとしておこう。
「本当は払ってくれようとしたんだけど、貰うのは嫌だから……あの、部屋は、撮影に直ぐ来れるようにって…」
その時、俺の後ろへシモンの手が静かに回された。
胸が高鳴る。
シモンが、俺の背へ手を回してくれた。
密着を……シモンから望んできた。
「そっ、その後テッペリンの色んなCMに出たら、人気のCMの出演者に話を聞こうってバラエティーに出て、施設出
のことやアニキのことが知られて……」
「そうか」
ああ、本当に色んなことが起こっていたんだ。
俺の知らない間にそれだけ多くのことを体験して、シモンは今日まで生きてきたんだ。
「なあ、シモン……顔を向けてくれるか?」
「え……う、うん」
下を向いていたシモンと目が合うと、互いの顔の距離が近づいて妙に緊張しそうになったが、
それを押し隠してシモンの顔を眺めた。
深い青の髪。
大きな瞳。
七年前の姿を思い出してみるが、それは全く変わらない。成長したシモンも深い青の髪と、
昔程ではないが大きな瞳を持っている。変わらない。
「ただいま、シモン」
「……っははは!!長い外出なんだから……お帰りなさい」
もう一度強くシモンを抱きしめると、シモンも俺を強く抱きしめてくれた。他人の熱が温かい、
弟の存在が安堵を起こす、シモンが愛おしい。
俺はシモンが好きだ。
午後七時半。
テーブルには豪華な食事が並んでいるが、決して金をつぎ込んで用意したもんじゃねえ。シモンが俺の為にと
作ってくれたんだ。今日は二人暮らし再開の記念日だから何処かに食べに行こうか、というシモンの言葉を
俺は真っ正面から否定した。
シモンの手料理が食いてえ、と。
そうしたらシモンは一瞬目を見開いて硬直したが、その後笑いながら承諾してくれた。台所に入っていった
シモンの後に着いていくか考えたが、技術の無い俺が手伝っても手間が増えるだけだろう。過去を振り返って
そんな結論に辿り着き、新聞でも読んで待っていようとしたその時、また別の考えが頭を過ぎった。
食事を作る人物、それを待つ人物。
一般的な夫婦。
夫婦はまだ早い。恋人になって、プロポーズして、結婚して、そっから夫婦だ。夫婦に至る過程を
想像すると妙に気恥ずかしくなり、俺は慌てて台所に向かった。
皿を並べる程度のことしか満足には出来なかったが、それでも始終シモンが楽しそうにしていたから
良しとしておこう。
「結構頑張ったんだけど、味どうかなあ」
「美味いぜ!」
「アニキ……まだ食べてないじゃないか」
シモンの作った料理なら何だって美味いに決まっている。思い付きで言ってる訳じゃあねえ、昔から
シモンの料理は美味かったんだから、そんなシモンが頑張ったと言うなら期待出来るんだ。
「アニキ、お酒とか飲む?」
「馬鹿野郎!未成年が飲酒なんてすんじゃねえ!!」
「……ははっ、言うと思った!じゃあビールで良いかな……あと焼酎も」
酒を飲むなという俺の発言を聞いておきながらも、せっせとその準備を始めるシモンを見て気が付いた。俺は
もう成人してたんだ。普通に生活しても成人式なんて大層なもんには出なかっただろうが、人生最初の節目とも
言える記念の歳を、祝うことも祝われることも無く過ごしちまったんだと思うと、
俺は本当に大人になったのか疑問に思えてくる。
「アニキそこ座って」
「お、おう……!」
促された席に座ると、俺の正面に座ったシモンが互いのグラスにビールを注ぎ始めた。
養護施設の大人がビールを飲む所を見て以来、俺にとってビールは大人の象徴だった。泡が零れないように注ぎ、
そして泡で口元に髭を生やすように飲む。
二十歳になったら飲んでも良いと、そう言われた言葉が懐かしい。
「アニキ」
ビールを注ぎ終わったシモンがグラスを持ち上げている。
「何だか照れるな」
俺も同じようにグラスを持ち上げた。
「アニキと俺の二人暮らしに乾杯ーーーっ!!!!!」
「シモンと俺様の輝かしい未来に乾杯だぁああああーーーーっ!!!!!」
チン、と。かけ声の割にグラスを労った小さな音が鳴った。だがビールを飲んでも良いものかと不安になり、
シモンの様子をちらりと見ると、そんな俺に気が付いたシモンはグラスに口を付ける前にそれを置いちまった。
「御免アニキ、ちょっと待ってて」
「ん、どうした」
秘密だと告げてから、急いで部屋へと向かっていった。その様子を見る限り、折角注いだビール
を多少なり嫌がる俺の様子に悲しんだ訳じゃねえと分かり、身勝手にも安堵感を得ちまった。
こんな時にまで自分勝手な俺が嫌になる。こんなことならビールでも何でも一気飲みして、シモンの料理に
手を付ければ良かった。
「ただいま〜」
「一体どうしたってんだよ」
「えへへへへ、ちょっとね〜」
珍しく何か企んだ顔をしていやがる。一応記念日なんだ、シモンは何か俺を驚かす準備でもしていた……って所だろう。
何でも来い、もうどんなことだって平常を保ったまま受け入れられる!
「はい、これ……アニキに」
そう言って渡されたのは小さな箱だった。開けて良いかと聞くと「今すぐ開けて」と言われたんで、
包み紙を破るように剥がしていく。現れた真っ白い箱の蓋を外すと、髑髏の形をした銀の指輪が入っていた。
髑髏。
それは俺が、親を思い出す存在。
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カミナは質より量派で、ガブガブ飲みそうだなーと思います。シモンは度の強い酒をちびちび飲みそう。
2007,12,17
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