七年を越えて





 左手に買い物袋、右手にはシモンの小さな手を握りしめて、俺達はスーパーから 自宅へと続く道を歩いていた。
「アニキ、その……俺もう14歳だよ。手は繋がなくても大丈夫だから…」
「何恥ずかしがってんだよ、兄弟!」
 俺とシモンには幼い頃から両親が居なく、また親戚も存在しないんで児童養護施設へと入れられていた。 俺達を育ててくれた施設長のシャクには感謝してるが、 それでも施設という閉鎖された空間と、 シャクの定めた厳しい規則に支配された世界に耐えられなくなった。 16歳を迎えた俺が、施設を出て一人暮らしを始めたのが丁度一年前。
 そして兄弟当然として共に過ごしてきたシモンを引き取ろうとしたが、経済状況の問題でシモンは強制的に シャクによって引き離された。奴のした事は正しいだろう、だが俺だってシモン一人ぐらい食わせていく 自信があったから、引き取ろうとしたんだ。それをあの野郎が無理だと頭から決めつけて、 可能性さえ否定した。
「一度は離れ離れになったんだ、良いじゃねえか手ぇぐらいよ」
「……う、ん……へへっ」
 数ヶ月後、シモンは俺を追って施設を抜け出した。職場に駆け込んで来た時は流石の俺も驚いたが、 上司に頼んで仕事が終わる時間までシモンに待ってもらっていた時に、シャクが駆けつけてシモンを連れ帰った。 何も出来なかった自分が、あれ程悔しかった事はねえ。
 施設よりも悪くなると分かり切った経済環境である俺の元へ、ただ俺を慕ってくれているという理由 だけて選んでくれたシモンに、何も出来なかった。
 だがシモンの意志も理解したシャクは、週に一度シモンが施設へ帰ってくる事を条件に、俺との 同居を許してくれた。しかもシモンの教育費をシャクが負担してくれたんだ、今じゃあ頭が上がらねえ。
「今日の学校はどうだった?」
「うん、ロシウと一緒に日直だったんだけど……黒板の一番上が二人して届かなくてさ、ヨーコに 助けて貰ったんだ」
「あっはっはっはっ!お前ら心の割に身体は小せえからなあ!」
「すっ…直ぐにアニキを越えるよ!」
 シモンの通う中学には、理解者が多くて随分と助かる。
 児童養護施設に居るというだけで、偏見に満ちた目で見られる事が多いからだ。中学にもなるとそんな事は 少なくなるが、それでもゼロじゃあねえ。俺もシモンも過去、一体何度罵られ馬鹿にされたか覚えてねえ。 それだけ屈辱的な言葉を多く受けてきた。就職先でさえ、社会通念で施設出身者の採用に抵抗を覚える所だって ある。
 シモンには、そんな目に遭ってもらいたくはねえ。 大切な弟分には、俺よりも幸せになってもらいてえ。小さな手を握りしめると、高い体温が俺の掌に伝わってきた。 シモンは何時の日かこの手で、女の子の手を握る日が来るんだろう。
 シモンに大切な奴が出来たら俺はこの手を素直に離すからよ。
 その瞬間まで、手を握らせて欲しい。
 それまでは。
 どうか。
「アニキと離れたくないなあ」
 今まさに俺が考えていた言葉を口にしたシモンに驚き、内心胸が跳ね上がるような感覚に見舞われた。 出来る事なら俺だって、お前を放したくなんかねえ。
「ずっと側に居りゃあ良いじゃねえか」
「……ヨーコの気持ちも知らないで…」
「あん?あのでか尻女がどうしたって?」
「何でもないよ」
 まさか、シモンはヨーコが好きだと言うんじゃないだろうな。
 彼奴は止めておけと言いたくなったが、恋は盲目の意味を俺も知っている。 好きな奴を侮辱されたら、誰だって腹が立つだろう。此処で俺がヨーコに駄目出しを下したら、 シモンの俺に対する感情が急降下するかもしれねえ。 それだけは絶対に嫌だから、黙って耐える事にした。
 何時までも、シモンは俺ばかりを見てくれる訳はねえもんな。
「……未来予想図が切なくなってきたぜ…」
「み、未来予想図っ!?アニキ結婚したい人とか居るの!?」
「あ?ちげえよ、お前との将来とか考えてたんだよ」
「…………俺ちゃんと就職するから、切なくならなくても…大丈夫だと…」
 施設から出たシモンの面倒を見る場合、俺の負担は今より増える。 経済状況を理解しているシモンだからこそ、俺が金に困りそうな将来を想定していると思ったんだろう。 わざわざそんな心配する必要ねえのにな。
「金は問題ねえよ、心配すんな。今すぐにでも俺ん所に来て良いんだからな」
「うん、有り難う……アニキ」
 掴んでいた手を、シモンに強く握られた。小さい頃から嬉しかったり悲しかったりと感情が揺れ動くと、 シモンは手を強く握りしめる癖があった。安堵のような笑顔を浮かべる今の状態を見ると、きっと 嬉しいと思ってくれてんだろうな。こっちも照れちまうじゃねえかよ。
「今日は何が食いたい?シモン」
「……残念。選択肢が増える程材料は買ってないよ、今日買ったのはカレーの材料。 食べたい物があるなら、明日まで待ってね」
「あ?そうなのか?」
 普段の料理担当はシモンだが、今日くらいは俺が作ってやろうと思った矢先に出来ないと言われちまった。 材料を買う時さえも、料理は全部シモンに任せっ放しだったせいだな。 今度からは材料選びも手伝おう、だから今晩もシモンの料理を堪能するか。
 さて、そこの角を曲がれば自宅だ。
 シモンのカレーは一手間掛けるから美味いんだよな、という事を思い出していた時の事だった。 角を曲がろうとした時に、一つの物体が信じられねえ速度で俺らへ突っ走ってきた。 一瞬把握が遅れちまう。
 俺らへ迫る存在。
 車だ。
 ちょっと待てよ、避ける時間がねえぞ。
 ぼんやりと考えている間にも車は俺達との短い距離を、さらに縮めて接近してくる。 避ける時間が足りねえ、両手の塞がった状態じゃあ受け身も出来ねえ。 夕飯の材料を捨てたとしても、シモンを放り出して俺だけ逃げんのは死んでも御免だ。 シモンの手を引いて逃げる時間は皆無。
 このままじゃあ駄目だと理解した。
 だが駄目なのは、二人が助かるという選択肢。
 俺は思いきりシモンを突き飛ばした。せめてシモンだけでも助かって欲しい、シモンだけでも。

 身体に、激しい痛み。

 視界が宙と地を回転させながら描き、最後には地面に固定されて動かなくなった。 周囲にシモンの姿が見えない事に気が付き、ああ俺は吹き飛ばされたんだと気が付いた。
「ごふっ……」
 肺に水が溜まっているようで、息が上手く出来ない。やっとの思いで咳と一緒に喉から塊を吐き出したかと思うと、 それは真っ赤に地面へ流れていった。
 アニキーーーー!!!!
 遠くで、俺を呼ぶ声が聞こえる。
 それを最後に、強い睡魔に苛まれて目を閉じた。



 何だろう、身体が軽く気分が良い
 呼吸は……出来る。
 身体は……よく、見えない。
 感覚は……無い。
 此処は……何処だ。
「-----っ、えっ…ニ-------すればっ-----アニ--」
 嗚呼、シモンが泣いてやがる。どうしたんだ、何か悲しい事でも遭ったのか。 早く起きて頭を撫でてやろう、少しでも安心出来るように。
「--っかじゃな----早---起-----いよ!シモ---悲--じゃ----」
 これは誰だ、声も口調もシモンじゃない。何処かで聞いた事のある声だから、きっと 記憶を辿れば分かる筈。そうだ、この声はヨーコだ。ヨーコが俺を怒鳴るとは生意気じゃねえかと、 反論しようにも声も身体も微動だにしない。一体どうしたってんだ。
 身体がまた、気持ちよさに包まれる。
「ニキ----俺--今年------になっ---よ----」
 また声が聞こえる。この声はシモンだが、俺の知っているシモンとは少し違う。 大人びた落ち着きのある声で優しく俺に語りかける様は、頼っちまいたい程の大きな存在を示していた。 このシモンの反応は何だろうな、考えるも頭は全く働かなかった。
「貴方がアニキさんですね」
 今までとは違い不自然な程明瞭に女の声が聞こえてくるが、声自体には全く聞き覚えがねえ。 弾むような声の背後で、シモンの声が聞こえる気がする。
「貴方が起きなければ、シモンは私が貰います」
 何だと。
 聞き捨てならねえ、シモンは俺のもんだ。 何処の馬の骨とも思えん輩に、俺の大切なシモンを渡して堪るか。
 俺の手足よ、動け。
 目よ、開け。
 俺のシモンが、盗られちまう。
 何の為にシモンと一緒に住んでるんだ、シモンを守る為だろう。余所者をけ落とす為だろう。 俺の気持ちを、シモンに伝える為だろう。
 さあ、目を開けろ。
 シモンの為に。
 俺の為に。  


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やってしまいました現代パラレル。
妄想超特急がもう少し続きます……。

2007,09,23

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