天才と秀才





 艦長として指示を出すシモンの姿は、カミナの後ろに隠れて震えていた頃を知る俺からしてみれば、 信じられない程の成長だと思う。だがシモンの存在を知る者は、大半がグアーム戦での名乗り時であり、 カミナ生存時には、シモンの名なんて耳にしても記憶にさえ残らない筈だ。
 カミナの弟分。
 ただの、小さな、少年。
「どうしたんだよキタン?」
「ん?あ……ああ、いや何。お前の成長っぷりに感動してたんだよ。俺だってお前のアニキみたいなもんだからな」
 ぼんやりとシモンを眺めていたらその視線に気が付いたんだろう、急に振り向かれた時は心臓が飛び跳ねるかと 思った。
「……ははっ、そうだな」
「お…おう……」
 俺のアニキはカミナだけだと、そう返されるかと思った。笑いながら俺を兄と評してくれたシモンの心が、堪らなく 嬉しいと感じちまう。何気ない一声で俺の感情を左右するシモンは、自身の与える俺への影響力を、どれだけ認識 してやがるんだろうな。
 皆がシモンに従って各自の行動に移ると、やる事の無くなったシモンは、モニターに移った宇宙の様子を眺めていた。 彼奴は今、何を考えてるんだろうな。ニアの事だろうか、それともカミナの事だろうか。
「キタン、視線が痛いんだけども……」
「ん……おぉ、悪いな」
「俺はそんなに立派になったか?」
 どくん、と。
 まるで全てを見透かしているような目が俺を捕らえる。ゆっくりと笑うシモンのそれは、嘗ての様に 屈託の無い笑顔とは違い、落ち着いた大人のものだった。少年は青年になった。
「そうだな、立派になった」
「それはどうも。嬉しいけど、どうしたんだよキタン」
「いやぁ、ちょっとな」
 話を逸らそうと、艦内に居座るヴィラルの不自然さをからかってやろうと思ったが、指を指そうとした瞬間、 シモンにその指を押さえられた。
「キタンも立派だ、俺よりもずっとな」
「何でもお見通しってか、大した奴だよ全く」
 他人を使って誤魔化そうとした俺の行為を反省しながら、心の中でヴィラルに平謝りをしておいた。
 俺の感じた事は、別に他人に話すだけの意義が有る訳でも意義が有る訳でも無え。だが少し、聞いて欲しい 気もする。シモンはきっと俺のそんな意図を感知してくれたんだろう。
 俺は他人を気遣う事は出来ても、他人の正確な状態を把握するなんて神業は出来ねえ。 それをごく自然にやってのけるシモンは、俺の手の届かない位置に居るように思えるんだ。
「天才的……いや、天才なんだな」
「……そんな事考えてたのか」
 まただ。
 俺の一言で、言わんとしている事を理解しちまった。他人への指示の下し方、シモン自身の溢れる程の魅力、 他人を理解する能力。類を見ない実力と能力。シモンは天才なんだ。
 カミナはまだその鱗片を発揮する前の原石に値するシモンに、能力を見出していたのかもしれない。 そんなカミナ自身も、天才だった。
「人の上に立つ人間ってのは、やっぱり普通よりも抜きんでた何かが必要なんだと思う。お前やカミナはまさに天才肌 の人間でよ、実力も魅力も即戦力も申し分なくて、人の上に立つべき人間だと、疑う事さえ出来ねえんだ」
 シモンが天才性を発揮し始めたのは、カミナの死後だろう。ジーハ村で大人しくしていた頃のシモンは 特技こそ有れ、引率する立場には到底及ばないと聞いた事がある。そのシモンの実力と将来性を見出したカミナは、 現在のシモンと同様、人を見る目の有る男だという事がよく分かる。
「特技ってのは誰もが持ってるんだがよ、お前やカミナは……そういうのとは違えんだよ」
「同じだ、何も変わらない」
「いや違うな。シモン、人間ってのは皆が同じじゃねえんだ」
 静かに話を聞いていたシモンが、急に目を大きく開いて驚いている。どうやら俺が反論するとは思わなかったらしい。 俺だって天才相手に噛み付く心は持ってんだ、まあ俺の場合は性格だから相手は関係無えけどな。
「格の違う相手ってのは存在すんだよ」
「……そう思ってくれる相手なんて、キタンくらいだ」
「へっ!少なくとも地球の人間は、俺と同じ事を思ってんだろうな」
 俺とシモンのどちらが大グレン団のリーダーに相応しいか投票を……いや、むしろ俺とシモンとロシウで総司令の 投票をしたとしよう、現総司令であるロシウよりも、シモンの方が選ばれるだろう。
 俺は、そう思う。
「ロシウの奴は秀才なんだな」
 彼奴も彼奴で人より抜きんでている立場に居る、秀才って人種だろう。
「……総司令としての能力は俺よりもロシウの方が優れてる。俺には駄目だ、向かない。今戻ったとしても、 町村を潰す可能性だってある」
 確かにそうかもしれない。シモンとロシウの下に就いていた身としては、有能なのはロシウの方だった。 シモンの嫌々書類と睨み合う姿は、今思い出しても不安を抱かせる。ロシウの様な補佐官が居たからこそ、シモンは 総司令としてやっていけたんだろう。
 なら秀才は天才より勝るのか?
 よく分からなくなってきた。
「俺は大グレン団が合っていて、ロシウには新政府が合っていただけだろう?向き不向きの問題じゃないか。天才や 秀才なんて関係無いだろう?」
 カミナの野郎とシモンは天才で、ロシウは秀才に中たる人種だと思う。だがシモンの言う状況で考えると、 よく分からなくなってきちまった。今の俺は確実にシモンの舌に丸め込まれてやがる。 一度俺が下した結論を、そう簡単に変えられて堪るか!
「関係ある!兎に角お前は天才だから大グレン団のリーダーなんだ!」
「天才だと大グレン団のリーダーになれるのか?」
「……いや……シモン…だから……だなぁ」
「なら天才は関係無いんじゃないのか?」
「……う………………あー……」
 駄目だ、俺の頭じゃあ反論なんざ出来ねえ。現に段々と考える事を放棄し始めたらしく、脳裏にはカミナの馬鹿面が 過ぎってくる。
「仮に天才の存在を示すなら、俺はキタンがそうだと思う」
 シモンの声で脳裏のカミナが姿を消し、俺は現実に引き戻された。シモンは今何て言った。
「俺が……天才?」
「まあ俺もアニキは天才だと思うけど、キタンだって天才だと思う」
「まさか!ありえねえ!」
 初めて言われた言葉に対し、俺の身体が妙にむず痒さを感じる。ただの冗談だろうと思いシモンの方を見ると、 あろう事か其奴は俺を真っ直ぐに見つめ返してきやがった。
 まずい、照れる。
 俺が天才とは到底思えないってのに、嬉しくて堪らない。
「ばばばばっか、馬っ鹿野郎!」
「はっはははっはっ、キタン……表情と発言が一致してないぞ」
 何かを企む子供のような目をしながら、シモンは俺を指さしてニヤニヤと笑っている。此奴のこんな子供っぽい顔を 見るのは、久しぶりかもしれねえ。
 年相応の振る舞いを知らない子供が多い旧・大グレン団の中で、ロシウに次いで 子供らしさを表せなかったのはシモンだろう。心の成長には繋がったが、その扱いがシモンにとって 良かったか悪かったかは、俺には分からねえ。
 ポン、と。シモンの頭に手を乗せて優しく撫でた。
 三代目大グレン団のリーダーを選出したのは俺だし、形式だけでも一応席を譲った立場にあるんだ、責任を 感じる事だってある。だが俺は、後悔なんざしねえ。
「アニキが作り上げて、大きくして、キタンが支えた大グレン団……最初のうちはさ、結構緊張したんだ」
 大人しく俺の手を頭の上で好き勝手にさせていたシモンが、軽く俺の胸を叩いた。
「人を率いる立場なんて初めてだったから、不安も多かったんだ。アニキやキタンには皆が付いていったけど、 俺には付いてきてくれるだろうか。俺に二人のような事が出来るだろうか……ってね」
 信じられねえ。
 シモンは何時も俺らを率いて、誰にも考えられないような策を弄して、テッペリンを攻略した。 そして新政府でもロシウの補佐があったとはいえ、立派に新政府を率いてきた。
 だが確かに思い返してみると、大グレン団のリーダーになった直後のシモンは、多少頑張りすぎる所があった。 当時はやる気があるんだなと思っていたが、確かに緊張や不安の為かもしれねえ。
「見本は二人も居るけど、俺も同じように出来るか分からない」
「お前でも緊張とかするんだな」
「当たり前だろう、今だって結構緊張してるんだぞ!まあ……それ以上にアンチスパイラルに対する恨みの方が 深いけどな。俺からニアを奪ったんだ、絶対許さない!」
 片手で握り拳を作るシモンの様子は正に頼れる男といった感じで、見ている側に緊張感を伝染させる事は無い。 意気込みや決意の方が強いというのは本当だろうが、その影に隠れて、シモンが確かに緊張や不安を抱えている事を、 俺は久々に自覚した。
「それにしても……俺ぁそんな大層な事はしてねえぞ?」
 カミナのようにグレン団を立ち上げた訳でも、大グレン団に成長させた訳でもない。ただ継続させただけだ。
「……自分で分かってないなんて、随分と大物だなあキタンは」
「過大評価は止めやがれ」
「ははっ。やっぱり、キタンも天才だよ」
 簡単な一言で火照った身体は、落ち着きを取り戻してはくれねえ。比例して思考も混乱し、もう何を感じているのか 訳が分からなくなりそうだ。
 シモンしか見えない。
「止めだ止めだ、ああ面倒くせえ!」
 もう本気でどうでも良くなっちまった。 他人への評価なんざ、どうせ俺の主観でしかないんだ。天才だ秀才だ凡人だといった評価を、相手と共有 する必要なんざ無え。
 俺がシモンを天才だと感じたらそうだ。
 シモンが俺を天才だと感じたら、有り難く受け取っておけば良い。
 俺らしくもなかった。きっとシモンの成長を見て、感傷に浸っちまってたんだろう。もう、どうでも良い。 どうであっても構わないんだ。
「いつの間にか普段のキタンだ」
「おうよ、やっぱ俺ぁ考えるのは性に合わねえ!」
 答えのない問いを悩んで悩んで悩み抜くと、どうにも悩む事を放棄しがちになる。だがもしかしたら、その 放棄した後の答えが、正しい答えなんじゃないだろうか。
 ……もしシモンが俺の性格を理解して、悩ませる様な発言ばかりしていたとしたら。
「まあ、もう関係ねえか」
 どうでも良いんだ、そんな事は。
「スッキリしたか?」
「へへっ、お陰でな!」
「それは良かった。じゃあ今後も互いに気合い入れて行こう」
「おう!」
 さて、もう遊んでる時間は無えんだ。俺も持ち場に着いて、しっかりシモンの手助けをしてやらなけりゃな。
「キタン」
 シモンの肩を二度叩いて、皆の所へ行こうとした時だ。後ろから名前を呼ばれた。どうしたんだろうかと振り向くと、 シモンに抱き付かれた。
 頭の中が空になる。
 耳元で心音が高らかに聞こえる。
 落ち着け俺、落ち着くんだ。
「愛してるから」
 ついシモンへと両手が伸びるが、何とか抱きしめるのを留めた。自分の自制心の強さに恐れ入る。 どうするべきかと焦っていたが、シモンは何ともなかったかの様に俺から腕を解くと、ゆっくりと背を向けて歩き始めた。
 今の一連の行為は何だ。
 何でシモンが俺に抱き付いたんだ。
 俺の事が好きなのか……いや、それは無い。
「あ」
 シモンの行動で見落としがちだったが、彼奴に回された腕が若干振るえていたのを思い出した。
『当たり前だろう、今だって結構緊張してるんだぞ!』
 これから押し寄せる戦いに対して、緊張していたんだな。
「甘えてくれた……のか、なあ……?」
 天才の考える事は分からねえ。でもまあ、可愛いもんじゃねえか。
 カミナの後ろに隠れていた頃から、俺はシモンの事も弟みたいなもんだと思ってきた。シモンも俺を 兄みたいなもんだと思っていて、そして今もそう思っていてくれるなら、それは嬉しいじゃねえか。
 成長して変わるものがあれば、変わらないものもある。
 少年は天才の青年へと開花したが、俺の弟分である事実は変わらない。
 嗚呼、嬉しいじゃねえか。




どちらかというとキタンは天才だの秀才だの、そういう枠組みに入れないタイプかとも思いますが、 でもそういう目で人を見るかも知れないというかどっちだろう。
人によりけりな不安定な評価だけども、評価を下す側にとっては随分と重要な要素だと思います。

2008,02,29

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